丸亀城 大手二の門
丸亀城の北に位置する正門(大手門)。内堀を渡るとまずは大手二の門で、枡形を経て大手一の門に続きます。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670(寛文10)年に再建された高麗門で国の重要文化財…
丸亀城の北に位置する正門(大手門)。内堀を渡るとまずは大手二の門で、枡形を経て大手一の門に続きます。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670(寛文10)年に再建された高麗門で国の重要文化財…
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670(寛文10)年に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれています。現在も平成の「時太…
日光の華厳滝、南紀の那智滝と並ぶ日本三名瀑のひとつが袋田の滝。久慈川の支流、滝川にかかる名瀑で、落差120m、幅73mを四段に渡って流れ落ちて流れること、さらには四季の折々の美しさから年に四度訪れるべきということからから…
日光と霧降高原を結ぶ霧降高原有料道路沿いにある落差75m、幅15mの滝が霧降の滝。霧降の滝観瀑台が設けられ、原生林の合間を縫うように流れ落ちる姿を眺望できます。上下2段に分かれ、水量の多い沢水が上段の滝から落下し、岩棚に…
那智の滝(那智大滝)、袋田の滝と並ぶ日本三名瀑のひとつに数えられる有名な滝で日光二社一寺の神域に位置しています。中禅寺湖から97mの高低差を一直線に水が流れ落ちる様は荘厳かつ豪快。昭和5年に営業開始という歴史ある専用エレ…
和歌山県白浜町の大塔日置川県立自然公園内にある滝で、全国的にはまだまだ無名ですが、「日本の滝百選」に選定。対岸から遠望することもできますが、駐車場から滝壺近くまで到達する遊歩道が整備されています。近くには鍋津呂滝(なべつ…
華厳滝、袋田の滝とともに日本三名瀑のひとつ、そして日本の滝百選に数えられる那智の滝。那智大滝として国の名勝にもなっています。落差133m、幅13m、滝壺の深さ10mの大滝で、平安時代以降、聖地として知られ、滝自体が熊野那…
和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高…
城の石垣などの下方をあけて門にした形式を埋門(うずみもん)と呼びますが和歌山城天守曲輪、小天守横にあった御台所の通用門が天守埋門。御台所と水の手を直結する門で、平時にはこの門を開けて水などを供給していました。水の手には黄…
和歌山城の表坂を上った松の丸にある石庭。もともとは、本丸曲輪にあった本丸御殿の中庭だったのですが、大正12年に本丸御殿跡に上水道施設(現・和歌山市水道局城内給水場)を設置した際に、松の丸に移設されました。1621(元和7…
和歌山城の建つ山は、海上から見ると虎が伏せたように見えることから、虎伏山と呼ばれ、城も虎伏竹垣城という別名があります。和歌山城の別名にちなんで、昭和34年に作られたのが2代目となる虎の像です。
和歌山城西の丸の紅葉渓庭園復元を記念して、和歌山市の名誉市民・松下幸之助が寄贈し、昭和49年5月に完成した茶室。茶道の心得がなくても気軽に立礼室で抹茶を楽しむことができます。もともとこの場所には茶室の遺構があり、そこに数…
菱形になった和歌山城本丸曲輪の東の高台にあったのが本丸御殿。元和年間(1615年〜1624年)に創建されたもので、中央に七福の庭を配していました。初代・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)と正室、14代藩主・徳川茂承(とくがわも…
大正4年4月7日、和歌山城南の丸に創立された歴史ある動物園。哺乳類を主体とする童話園と水辺の鳥が羽ばたく水禽園があり、合計100余頭羽の動物を飼育展示しています。平成27年7月には、和歌山公園動物園の100周年記念事業の…
和歌山城の二之丸背後にある台所門から本丸・天守曲輪へと至る搦手(からめて=裏側)側の登城ルートが裏坂。屈曲した石段で上ると、かつて本丸には本丸裏門がありました。坂を上ると左手に本丸御殿、右手に天守の建つ天守曲輪という構図…
和歌山城の大手門の反対側、搦手側(からめてがわ=裏側)から砂の丸に入る門。門を出て、道を隔てた反対側に馬術を練習する追廻(おいまわし)があったことが名の由来になっています。1619(元和5)年、和歌山藩初代藩主の徳川頼宣…
1619(元和5)年、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)の入城後、和歌山城の表門となった一の橋南詰に建つ大手門。創建当初は一之橋御門と呼ばれていましたが、1796(寛政8)年に大手御門と改称しています。明治42年に自然倒壊し、…
1600(慶長5)年の浅野幸長入城後、和歌山城南東の虎口(こぐち=出入口)に位置する大手門として創建。1619(元和5)年、初代和歌山藩主・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)入城とともに、峡橋を渡っての参勤交代に不便などの理由…