野伏港ふ頭灯台
東京都新島村式根島、式根島の玄関港、野伏港にあるデザイン灯台が、野伏港ふ頭灯台。東京・竹芝桟橋からの「さるびあ丸」、下田港からの「フェリーあぜりあ」、新島とを結ぶ連絡船「にしき」を利用し、野伏港入港時に目にする灯台で、旧…
東京都新島村式根島、式根島の玄関港、野伏港にあるデザイン灯台が、野伏港ふ頭灯台。東京・竹芝桟橋からの「さるびあ丸」、下田港からの「フェリーあぜりあ」、新島とを結ぶ連絡船「にしき」を利用し、野伏港入港時に目にする灯台で、旧…
静岡県伊東市川奈、川奈港の東、川奈ホテルゴルフコース・富士コースの広がる岬の先端に建つ白亜の灯台が、川奈埼灯台。「世界ゴルフ100選」にも選定されるゴルフコース、東北端エクストラホールの脇に建つため、脚がゴルフティーの形…
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として…
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目、現在、イオンモール神戸南が建つ一帯が、兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)。平成15年に兵庫津遺跡(ひょうごのついせき)で古代大輪田泊跡と推測される遺構が発掘され、古代から中世の瀬戸内海航路の港湾…
神奈川県藤沢市江の島、江の島の東端、湘南港防波護岸外端に建つ灯台が、湘南港灯台。湘南港(江ノ島ヨットハーバー)は昭和39年8月18日、東京オリンピックのヨット競技場として整備された港湾で、湘南港灯台も湘南港とともに土木学…
神奈川県三浦郡葉山町堀内、葉山マリーナから海に突き出した堤防の先端にあるのが、葉山港A防波堤灯台。湘南海岸に築かれたデザイン灯台のひとつで、葉山港防波堤赤灯台とも呼ばれています。赤い灯台ですが、デザイン的には葉山マリーナ…
神奈川県中郡大磯町大磯、大磯港から突き出した防波堤の先端にあるのが、大磯港西防波堤灯台。基部のほうが狭く、上部が広いという逆末広がりで、大磯の未来を象徴させたデザイン灯台で、湘南海岸では早川港のおだわら提灯灯台などととも…
神奈川県小田原市早川、早川港から突き出した堤防上にある小田原港2号防波堤灯台が、小田原ちょうちん灯台。すぐ横(早川港側)を西湘バイパス石橋支線の小田原ブルーウェイブリッジがまたいでいます。「小田原ちょうちん」をテーマにし…
神奈川県小田原市早川、小田原港(早川漁港)にあるデザイン灯台が、小田原ちょうちん灯台(小田原港新第1号防波堤灯台)。港湾部の東に赤色の第1号、西に白色の第2号があり、ペアで赤白の小田原ちょうちんを表現しています。残念なが…
神奈川県川崎市多摩区東生田1丁目、生田緑地の北端にある横穴墓群が、生田長者穴横穴墓群(いくた ちょうじゃあなよこあなぼぐん)。飯室山の北麓に築かれた横穴墓群で、昭和42年、住宅開発前の調査で3つの小さな谷に、合計32基に…
山口県山口市上宇野令、標高338mの鴻ノ峰に築かれた中世の山城が、高嶺城(こうのみねじょう)。西の京として繁栄した大内氏ですが、戦国時代にはその権勢にも陰りを見せ、大内義長(おおうちよしなが)が山麓の居館に対し詰めの城と…
山口県山口市天花1丁目、瑠璃光寺(るりこうじ)の東に位置する雪舟(せっしゅう)のアトリエ跡が、雲谷庵跡(うんこくあんあと)。室町時代を代表する画僧・雪舟は、大内文化華やかかりし時代に、大内氏の遣明船で明に渡り3年間滞在、…
山口県萩市椿東、松陰神社(しょういんじんじゃ)境内、駐車場の横にあるのが、薩長土連合密議之処碑(さっちょうどれんごうみつぎのところのひ)。明治百年記念で昭和43年に建立された碑ですが、この石碑が立つのが実は鈴木勘蔵の宿が…
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。二の丸御殿の玄関・車寄(くるまよせ)の西側に設置されているのが、旧京都所司代屋敷釣鐘(きゅうきょうとしょしだいやしきつりがね)。幕末の政変時に、…
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。外堀を渡り東大手門をくぐると二の丸で、二の丸御殿(国宝)の正門となるのが二の丸御殿唐門(にのまるごてんからもん)。御殿は築地塀で囲まれ、唐門をく…
熊本県熊本市中央区、熊本地震からの復興が進み、天守も公開される熊本城。必見のスポットが、「飯田丸ゾーン」にある二様の石垣(にようのいしがき)。やや緩やかな傾斜の石垣と急峻な石垣が同時に見学できる場所で、なだらかな方が加藤…
熊本県熊本市中央区、熊本城の本丸にそびえるのが天守。熊本城の大天守および小天守は高さ16mほどの石垣の上に南に大天守、北に小天守を築き、その上に望楼をそれぞれ東西方向に向けて乗せています。大天守が右側、小天守が左側に来る…
熊本県熊本市中央区、熊本城の本丸にそびえるのが天守。築城の名手、加藤清正(かとうきよまさ)が慶長5年(1600年)頃に築いたのが始まりで、往時の天守は明治10年、西南戦争時の失火で焼失。現在の天守は昭和35年9月22日に…