別府公園

別府公園

大分県別府市野口原、別府市役所のすぐ南、青山通りと富士見通りに挟まれた27.3haという広大な都市公園(総合公園)が、別府公園。昭和52年、昭和天皇御在位50年記念公園の指定を受け、別府公園として整備されたもの。昭和4年の『中外産業博覧会』、昭和12年の『国際温泉観光大博覧会』の会場にもなっています。

明治40年1月の皇太子行啓を機に築かれた歴史ある公園

明治40年1月、御召鑑「香取」に乗船した明宮嘉仁親王(はるのみやよしひとしんのう/後の大正天皇)の大分・別府行啓に伴い、整備された公園(大韓帝国、長崎、鹿児島、宮崎を訪問後、大分港で下船、別府では工業徒弟学校や別府公園、曹洞宗・観海寺を見学、見学後高知へと出発)。

昭和12年3月25日〜5月13日に別府公園を会場として行なわれた『国際温泉観光大博覧会』は、六大館と位置づけられた温泉館、観光館、産業本館、陸軍館、海軍館、電気科学館、大分県館など多数のパビリオンが建設され、50日間の会期中、のべ46万7852人もの入場者を集めたという大イベントでした。

昭和21年〜昭和31年にはアメリカ軍第187空挺歩兵連隊(Regimental Combat Team=通称Rakkasans)のキャンプ(Camp Chickamaug/キャンプ・オブ・チッカマウガ)となり、下士官兵の居住施設などが築かれていました。
昭和32年に日本に返還され、その後、昭和50年までは陸上自衛隊別府駐屯地として使われていましたが、昭和51年に別府市に返還され、公園化されました(地下には地震などの災害時に備えた耐震性貯水槽が埋められています)。

園内には芝生広場、竹林、梅林があり、小川も流れるオアシスに。
樹齢80~100年の松が690本茂る松林は見事ですが、皇太子行啓を控えた明治39年、梨本宮守正王による御賜金で、一帯に松の苗3万5000本が植栽されたうちの名残の松で、アメリカ軍の駐屯地、自衛隊駐屯地となったことで、結果的に松が残されたのです。
アメリカ兵達が駐屯生活中に植えたヒノキも残っていて、「チッカマウガ・ツリー」と呼ばれています。

園内の西門近くには別府観光の父といわれる油屋熊八の碑も立ち、油屋熊八の功績を顕彰しています。
道路を隔ててビーコンプラザ(シンボルタワーが「グローバルタワー」)が隣接。
ビーコンプラザのほか、べっぷアリーナ、テニスコート(6面)、芝生広場、ゲート広場なども整備されています。

駐車場は収容台数の多い東駐車場と、北駐車場の2ヶ所。
JR別府駅西口より徒歩15分と便利なアクセスです。

別府公園
ビーコンプラザ「グローバルタワー」からの眺め
別府公園
名称 別府公園/べっぷこうえん
所在地 大分県別府市野口原3018-1
関連HP 別府市公式ホームページ
電車・バスで JR別府駅から徒歩15分
ドライブで 東九州自動車道別府ICから約4.8km
駐車場 東駐車場(360台/1時間まで無料、以降有料)、北駐車場(100台/1時間まで無料、以降有料)
問い合わせ 別府市公園緑地課 TEL:0977-21-1473/FAX:0977-22-9478
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ビーコンプラザ・グローバルタワー

別府にある別府市市民ホール、大分県立別府コンベンションセンターなどからなる複合施設がビーコンプラザ・グローバルタワー。施設の一部のグローバルタワーは高さ125mと別府一。地上100mの展望デッキからは湯けむりと別府湾、空気の澄んだ日には遠く

 

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