「日本考古学発祥の地」碑
1日9万人以上の乗降客を誇るJR大森駅は、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開業した4年後の明治9年6月12日。その翌年、横浜から新橋へ移動途中の汽車の車窓からモースが貝塚を発見。これが日本の考古学発祥となったため、モース…
1日9万人以上の乗降客を誇るJR大森駅は、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開業した4年後の明治9年6月12日。その翌年、横浜から新橋へ移動途中の汽車の車窓からモースが貝塚を発見。これが日本の考古学発祥となったため、モース…
滋賀県東近江市にある太郎坊・阿賀神社は、標高350m、巨岩が露出した赤神山の中腹にあり、「太郎坊宮」の名で親しまれている古社。聖徳太子が箕作山の瓦屋寺(かわらやじ)を建立した際に、阿賀神社に国家安泰を祈願したと伝えられて…
明治時代にハワイへの移民(政府が斡旋した官約移民合計2万9084人)がもっとも多かったのが広島県(1万1122人)、次いで山口県(1万424人)で、山口県のうちでも大島郡(現・周防大島町)から多くの人々が移民となってハワ…
富山県南砺市井波にある真宗本廟(東本願寺)の井波別院。南北朝時代の明徳元年(1390年)、本願寺第5代の綽如(しゃくにょ)上人が加賀・能登・越中・越後・信濃・飛騨から浄財を募って開基した真宗大谷派の寺で、後小松天皇の勅願…
富山県射水市の海王丸パークに係留される帆船海王丸。商船学校の練習船として昭和5年2月14日に進水した初代の帆船海王丸は、その優美な姿から「海の貴婦人」と呼ばれています。その帆船海王丸を平成2年4月に富山新港に回航、現役の…
富山県射水市にある「海の貴婦人」といわれる帆船「海王丸」を中心とした広大な臨海公園が海王丸パーク。係留された帆船「海王丸」のほかに、海洋に関する資料の展示される日本海交流センター(入館無料)、イベント広場、野鳥を観察でき…
茨城県潮来市にある1.3haの公園が水郷潮来あやめ園。苑内には水郷名物のハナショウブが植栽され、例年6月10日頃に見頃を迎えています。園内には橋幸夫の『潮来笠』の歌碑「潮来笠記念碑」、花村菊江の『潮来花嫁さん』の「潮来花…
山形県長井市にあるアヤメの名所で「日本四大あやめ園」にも数えられるのが長井あやめ公園。長井あやめ公園で発見された長井古種(長井系)など、貴重な品種も栽培しています。あやめ公園というものの、正しくはハナショウブで、3.3h…
福島県会津美里町に鎮座する会津総鎮守で岩代国(いわしろのくに=現・福島県西部)一之宮(陸奥国二之宮)が伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)。会津六詣出の一社。ヤマト王権との結びつきを示す創建の伝承のある古社で、平安時代編纂の…
静岡県袋井市にある油山寺、秋葉総本殿可睡斎とともに遠州三山のひとつに数えられる名刹が法多山尊永寺(はったさんそんえいじ)。寺伝によれば神亀2年(725年)、聖武天皇の命により行基が開山したという、真言宗の古刹です。厄除観…
静岡県森町(遠州森)にある森の石松の墓があることで知られる禅寺が大洞院。山号を橘谷山(きっこくざん)といい、南北朝時代の応永18年(1411年)開山の名刹。室町幕府4代将軍、足利義持(あしかがよしもち/足利義満の子)が寺…
静岡県袋井市の郊外にあり、室町初期に開かれた曹洞宗の巨刹で遠州三山(油山寺、秋葉総本殿可睡斎、法多山尊永寺)のひとつに数えられる名刹。徳川家康ゆかりの寺で、可睡斎という名は、家康の前で住職が居眠りをしたっというエピソード…
『走れメロス』、『人間失格』、『斜陽』などで知られる作家・太宰治(だざいおさむ/本名:津島修治)は、青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)の出身。その生家が太宰治記念館「斜陽館」として保存、公開されています。太宰治の父で…
岩手県釜石市の釜石と遠野を結んだ旧釜石街道沿いの山中にある不思議な巨石が続石。巨大な岩がまるで鳥居のように積み上げられています。台石は高さが2m、上に乗った笠石は、幅7m、奥行き5m、厚さ2mの巨岩。台石の間を人がくぐる…
柳田國男の『遠野物語』にも登場する岩手県遠野市の山崎地区金勢神社にあるコンセイサマ(金精様、金勢様)が山崎コンセイサマ。五穀豊穣と子授け、馬の息災の神様として地元の人の篤い信仰を集めています。婦人の腰の病気に効くともいわ…
岩手県遠野市にある東北の霊山・早池峰山(はやちねさん)の山上へと通じる古道の跡が早池峰山古参道跡。遠野三山にも数えられ、山頂にエーデルワイスの仲間であるハヤチネウスユキソウが咲くことで知られる早池峰山。古参道跡は中世に修…
柳田國男が『遠野物語』で様々なカッパの伝承を紹介し、「カッパのふるさと」のイメージが強い岩手県遠野市。なかでも代表的な景勝地がカッパ淵。康平元年(1058年)創建という遠野の古刹、常堅寺(じょうけんじ)の脇に流れる川が足…
岩手県遠野市、苔むした自然石に羅漢像が線彫りされ、380体も並んでいるのが五百羅漢。天明9年(1782年)頃に大慈寺(現・岩手県遠野市大工町9-20)の義山和尚が宝暦や天明の大飢饉で餓死した数千人もの霊を供養するために刻…