誓願寺
1596(慶長元)年、南津軽郡大光寺村(現在の平川市)に建立され、弘前城築城後の1615(元和元)年に現在地に移築されたのが浄土宗の誓願寺。長勝寺を中心に33ヶ寺の禅寺(曹洞宗寺院)を集めた西茂森禅林街、東側の守りとした…
1596(慶長元)年、南津軽郡大光寺村(現在の平川市)に建立され、弘前城築城後の1615(元和元)年に現在地に移築されたのが浄土宗の誓願寺。長勝寺を中心に33ヶ寺の禅寺(曹洞宗寺院)を集めた西茂森禅林街、東側の守りとした…
茨城県取手市にある臨済宗妙心寺派の寺。931(承平元)年、平将門(たいらのまさかど)が勅願所として創建したと伝わる古刹。境内にある三世堂は、現存する江戸時代の貴重なさざえ堂です。二重らせん構造の階段で、坂東、秩父、西国の…
青森県弘前市の寺町(禅林街)にある蘭庭院(らんていいん)は、弘前藩2代藩主。津軽信枚が弘前城西南の抑えとして寺院を集めた禅林街33ヶ寺の一つで曹洞宗の寺。蘭庭院は院号で開基の津軽為信姉の戒名である蘭庭薫香大禅尼から付けら…
弘前城の南西に位置する寺町、曹洞宗33ヶ寺が連なる禅林街の中心となる名刹。周辺には33もの寺院が建ち並び実に壮観。曹洞宗33ヶ寺をここに集めたのはいざというときには防御の役割も担わせるため。そのうちのひとつ長勝寺は津軽家…
厄除け大師で名高い、東京都足立区の西新井大師。その境内の一画に赤い塔が聳えています。それが三匝堂(さんそうどう)。1840(天保11)年の創建ですが、現存するのは明治17年再建で、東京都内に残る唯一の栄螺堂(さざえ堂)と…
足立区西新井1丁目にある真言宗豊山派の寺で正式名は總持寺(そうじじ)ですが、西新井大師として有名。空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に本尊・十一面観音を自刻して開山という空海開山伝承の寺。それゆえに田山花…
開港と同時に設置された神戸の外国人居留地は明治32年に日本に返還され、第一次大戦後には貿易や造船ラッシュで好景気に沸き上がります。そんな中、大正11年に大阪商船神戸支店として建築された商船三井ビルディングは、渡辺節の設計…
埼玉県本庄市児玉町にある成身院の百体観音堂は、1783(天明3)年におきた浅間山の大噴火と飢饉よる死者を弔うための仏堂。1階に秩父三十四観音、2階に坂東三十三観音、3階に西国三十三観音あわせて百観音を祀り、一巡すると百観…
1211(建暦元)年、親鸞は5年間の越後国配流が勅免されると、1214(建保2)年、東国の布教を開始し信濃国善光寺から常陸国へ向かい稲田九郎頼重に迎えられて稲田に草庵を結びます。そして稲田を拠点に、親鸞は常陸・下総・下野…
法隆寺は、寺伝などでは607(推古15)年、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる古寺で、世界最古の木造建築群が飛鳥時代の姿を現代に伝えています。参道の松並木を抜けると、正門である南大門(国宝)。境内は西院と東院に分…
法隆寺の西院伽藍は、奈良時代の法隆寺式伽藍配置を体現していますが、大講堂の前(南側)で、西に経蔵、東に鐘楼と楼閣建築が対となって配されています。経蔵は、天平様式を基調とすることから奈良時代の建築と推測され、現存する楼造り…
法隆寺の西院伽藍の東、宝物館である大宝蔵院の南側に、細殿(ほそどの)と並んで建つ「双堂」(ならびどう)のひとつが食堂(じきどう)。奈良時代の建築様式で、創建時には政所という法隆寺の寺務所だったもの。平安時代に入って、僧が…
東室(ひがしむろ)は、法隆寺・西院伽藍の東側にある僧坊で、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』に記される4棟の僧坊のひとつ。奈良時代、伽藍中枢部に続いての建立と推測できますが、礎石や柱にはさらに古い転用材が用いられ、こちらは法…
法隆寺、国宝文化財が建ち並ぶ西院伽藍の北西、小高い場所に、八角円堂の西円堂があります。薬師如来像を安置するため「峯の薬師」(峰薬師)と通称されるお堂です。718(養老2)年、光明皇后の母・橘夫人の発願によって、行基が創建…
法隆寺の西院伽藍の西側に建ち、東側の聖霊院・東室とともに古代に全寮制の学問寺だった頃の名残の僧坊で、多くの律僧たちがここで生活し起居していました。現存する建物は、鎌倉時代の1231(寛喜3)年の建物で国宝。聖徳太子が著し…
法隆寺の西院伽藍、金堂、五重塔をぐるりと囲む大回廊の東西には、僧侶の住居であった南北に細長い僧房(東室、西室)がありますが、聖徳太子像(平安時代のもので国宝)を安置するために東室の南端部分を改造したものが聖霊院(しょうり…
昭和60年11月5日に廃止となった国鉄の手宮線(南小樽駅〜手宮駅/2.8km)。実はこの区間、官営幌内鉄道(手宮〜札幌〜幌内)の一部として明治13年11月28日に開通した線路。つまりは、北海道で最初に開通した鉄路の一部で…
法隆寺の東院伽藍にある講堂が伝法堂。建物は、739(天平11)年の建立で、聖武天皇の橘夫人の邸から移築したもので国宝。現存する奈良時代の貴族住宅で唯一の遺構です。平面が7間×4間、瓦葺きの建物ですが、創建当時は、5間×4…