七社神社
江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春…
江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春…
文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、東京23区の区役所の中では最高層ビル(地上28階・地下4階、高さ142m)。その25階は展望ラウンジと、「シビックスカイレストラン椿山荘」になっていて、ラウンジからは東…
江戸・日本橋から東照大権現(徳川家康)が祀られる日光まで続く「日光御成道」の、日本橋から2里目にあたる一里塚。徳川時代に設置されたままの往時の場所に残る貴重な一里塚ということで、国の史跡にもなっています。とくに都市化が進…
滝野川公園、平塚神社、滝野川体育館、地震の科学館などのある北区西ヶ原2丁目にある先土器時代から近世までの長い期間に渡る遺跡。注目されているのは、奈良・平安時代に造られた建物の跡。実は、この建物は、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐん…
武蔵野台地の東北のヘリに位置する飛鳥山。全体が日本で最初の都市公園、飛鳥山公園となっていますが、そのなかには古墳が眠っています。飛鳥山公園の旧渋沢庭園内にある円墳群ですが、近年までたんなる庭園内の丘として扱われ、発掘調査…
太田道灌の江戸城築城の際に、川越喜多院に祀られた日吉社(山王権現)を勧請して創建。家康が江戸城の鎮守としました。2代将軍・徳川秀忠が江戸城外の麹町隼町に遷し、庶民の信仰が始まりました。国宝だった社殿は戦災で失いましたが、…
東京23区の自然地形の最高峰は、標高25.7mの愛宕山(港区)。愛宕神社の境内に三等三角点があって、自然地形の「山」としては23区の最高峰と認定されています。北区では飛鳥山山頂の位置を表す公共基準点を設置。その標高は25…
徳川吉宗が山桜を植栽し、江戸時代から桜の名所として名高い、王子、飛鳥山公園(東京都北区)。飛鳥山と呼ばれるような「山」ゆえに、年配の人や妊婦などには階段が大きな障害に。そこで北区がバリアフリー化の波に乗って平成21年に開…
JR・東京メトロ王子駅近くにある北とぴあ(ほくとぴあ)は、「北区の産業の発展と区民の文化水準の高揚を目的として建設された北区のシンボル」で、各種のホールがあってコンサートやイベント会場となっていますが、最上階の17階は展…
東京都公園協会が管理する葛西臨海公園。その中心施設である葛西臨海水族園の海側にあるのが同じ東京都公園協会が運航する東京水辺ラインの葛西臨海公園発着場です。葛西臨海公園とお台場海浜公園、さらには浅草(二天門)、両国を結んで…
江戸時代の新宿は内藤新宿という甲州街道の宿場町でした。その甲州街道に面して建つ太宗寺は浄土宗の寺。少し耳慣れない言葉ですが「江戸三閻魔」(えどさんえんま)に数えられる閻魔像、さらには「江戸六地蔵」の地蔵菩薩像があることで…
「水上バスで行こう!」がキャッチフレーズの東京水辺ライン。隅田川の両国を起点に両国〜浅草(二天門)〜浜離宮〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園に水上バスを運航。注意したいのは東京都観光汽船とは異なること。お台場海浜公園の桟橋は…
東京都公園協会が運航する東京水辺ライン。両国を起点に浅草(二天門)発着場に寄港し、お台場海浜公園、さらには葛西臨海公園までクルーズします。両国〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園は、水上バス(海上バス)の定期クルーズとしては最…
都立公園を管理する東京都公園協会が運航する水上バスが「東京水辺ライン」。両国発着所をメインポートにして、浅草(二天門)からお台場海浜公園を結ぶ「浅草・お台場クルーズ」、葛西臨海公園まで足を伸ばす「葛西・浅草クルーズ」、そ…
ニコライ堂の愛称で親しまれている東京復活大聖堂の正式名は、日本ハリスト正教会教団復活大聖堂。ニコライ・カサートキン大主教によって建てられたギリシャ正教会の聖堂で、完成は明治24年。尖端状鐘楼があるドームの高さは38mで、…
神田明神近く、宮本公園内に移築された遠藤家旧店舗・住宅主屋が「神田の家 井政」。江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後、昭和初期に建てた店舗併用住宅で、平日は庭が一般公開されるとともに日中はカフ…
わずか4年ほどですが、中央本線御茶ノ水駅の神田寄り、昌平橋のたもとに昌平橋駅が開業していました。1年間は、名古屋〜東京を結んだ中央本線の起点駅にもなっているのです。今では駅舎の雰囲気はありませんが、往時のレンガ造りの高架…
神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代…