三分一湧水
高原列車で有名な小海線甲斐小泉駅(山梨県北杜市)から徒歩5分ほどの場所にあるのが三分一湧水(さんぶいちゆうすい)。年間の湧水量は310万tで、湧水を三方向の村落に平等に行き渡るよう利水したのが名の由来。北杜市長坂地区の水…
高原列車で有名な小海線甲斐小泉駅(山梨県北杜市)から徒歩5分ほどの場所にあるのが三分一湧水(さんぶいちゆうすい)。年間の湧水量は310万tで、湧水を三方向の村落に平等に行き渡るよう利水したのが名の由来。北杜市長坂地区の水…
全国に散らばる1300余りの浅間神社の総本宮で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の中核的な存在。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと=浅間大神)。富士山自体がご神体で、山頂に奥宮が…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の富士山本宮浅間大社。徳川家康造営の社殿が残されていますが楼門もそのひとつ。2階建て入母屋造り(いりもやづくり)で、正面と両脇に扉が付いています。さらに楼門の左右には慶…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産になっている、富士山信仰の中心、富士山本宮浅間大社。本殿へと続く拝殿・幣殿は、本殿同様に駿府隠居の前年の慶長9年(1604年)、徳川家康が造営したもの。本殿と拝殿をつな…
慶長9年(1604年)、徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝のお礼、徳川幕府の安泰を祈願して造営した社殿のひとつが本殿。「浅間造り」(せんげんづくり)という浅間大社独自の造りで、2階建ての楼閣造りになっています。1階は5間4面葺卸…
寿永4年(1185年)、奥州・平泉に逃れるため、海沿いに日本海を北上した源義経。能登には、義経伝説が数多く残されていますが、そのひとつが志賀町のヤセの断崖近くにある義経の舟隠し。折からの激しい嵐を避けるため、この入り江に…
危ういものの代名詞として歌枕としても知られる木曽の桟(きそのかけはし)。 長野県木曽郡上松町の木曽川沿いに続く、中山道(なかせんどう)の難所。松尾芭蕉の「桟橋や命をからむ蔦葛(つたかずら)」(『更科紀行』)など、多くの文…
日光山中、男体山、富士見峠、帝釈山から流れる荒沢川に懸かる落差45m、幅2mの滝が裏見の滝。深山幽谷の風情があり、華厳の滝、霧降の滝とともに日光三名瀑のひとつに数えられています。滝を裏側から眺められることが、その名の由来…
伊勢路と美濃路が合流し、京と尾張を結ぶ交通の要衝に位置した甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)。寺伝によれば推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師・甚目龍麿(はだめたつまろ)が観音像を網で引き揚げ堂を建て安置したのが始まりと…
岐阜市にある真言宗醍醐派の寺、岐阜善光寺。天正10年(1582年)3月、武田家の滅亡により、当時、信州から甲斐(甲府)の善光寺に遷されていた善光寺の秘仏(善光寺如来=阿弥陀三尊仏)を織田信長は岐阜城下に運びます。本能寺の…
川中島の合戦で、信州の善光寺焼失を恐れた信玄が、永禄元年(1558年)、御本尊の善光寺如来をはじめ、諸仏・寺宝類を奉遷するために建てた寺が甲府市に建つ甲斐善光寺(かいぜんこうじ)。寺の建つ板垣の郷は、善光寺を建立した本田…
岐阜市にある14世紀末頃に創建、永正8年(1511年)、斎藤利匡(さいとうとしまさ)が再興した(開山は独秀乾才)臨済宗妙心寺派の寺、崇福寺(そうふくじ)。永禄10年(1567年)、織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし…
羽黒山(現在の出羽三山神社、江戸時代までは羽黒権現)の表参道は、随神門(旧仁王門)をくぐり五重塔脇の石段を上る道で、樹齢350年から500年の杉並木の中を上っていきます。全長1.7km、2446段の長い石段の道は、途中一…
羽黒山山頂に建つ出羽神社三神合祭殿は出羽三山信仰の中心となる存在で、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した聖地。月山、湯殿山は、冬期間積雪のため参拝できないことから、三神を祀るようになったといわれています。明治維新以前の神…
羽黒山の登拝口の随神門から継子坂(ままこざか)を下った祓川の谷合にある禊(みそぎ)の地が須賀の滝。承応3年(1654年)、出羽三山中興の祖といわれる天宥(てんゆう)が山中に堰を巡らせ、8kmほど離れた水呑沢から導水した水…
山形県山形市、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)の百丈岩(ひゃくじょうがん)へと続く参道の途中には、せみ塚があります。せみ塚は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』途中の芭蕉が立石寺で詠んだ「閑か…
山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』の途中の芭蕉と曽良が訪れたことで有名で、有名な「閑かさや岩にしみいる蝉の声」を詠んだことで知られています。境内には昭和47…
松尾芭蕉は『奥の細道』行脚の途中、元禄2年5月27日(1689年7月13日)に尾花沢から立石寺を訪れ、有名な「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいます。根本中堂の脇には、幕末の嘉永6年(1853年)、門人により建立…