七社神社
江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春…
江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春…
倉吉から東へ車で約30分。 「三徳山三佛寺」(さんとくさんみぶつじ)は、飛鳥時代の706年に役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた山陰屈指の古刹。
東京は増上寺の目の前に建つ、港区役所11階のレストランポート。安い、早いだけでなく、窓際なら東京タワーを眺める絶景のレストランです。カレーなどの定番メニューもありますが、平日のランチタイムなら日替わりのランチメニューが充…
鳥取県中部をめぐる2泊3日の旅。 3日目は、2016年10月21日に、鳥取県中部で発生したマグニチュード6.6の地震で、震度6弱の激しい揺れを観測した倉吉市とその周辺を巡りました。
文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、東京23区の区役所の中では最高層ビル(地上28階・地下4階、高さ142m)。その25階は展望ラウンジと、「シビックスカイレストラン椿山荘」になっていて、ラウンジからは東…
太田道灌の江戸城築城の際に、川越喜多院に祀られた日吉社(山王権現)を勧請して創建。家康が江戸城の鎮守としました。2代将軍・徳川秀忠が江戸城外の麹町隼町に遷し、庶民の信仰が始まりました。国宝だった社殿は戦災で失いましたが、…
JR・東京メトロ王子駅近くにある北とぴあ(ほくとぴあ)は、「北区の産業の発展と区民の文化水準の高揚を目的として建設された北区のシンボル」で、各種のホールがあってコンサートやイベント会場となっていますが、最上階の17階は展…
東京都公園協会が管理する葛西臨海公園。その中心施設である葛西臨海水族園の海側にあるのが同じ東京都公園協会が運航する東京水辺ラインの葛西臨海公園発着場です。葛西臨海公園とお台場海浜公園、さらには浅草(二天門)、両国を結んで…
江戸時代の新宿は内藤新宿という甲州街道の宿場町でした。その甲州街道に面して建つ太宗寺は浄土宗の寺。少し耳慣れない言葉ですが「江戸三閻魔」(えどさんえんま)に数えられる閻魔像、さらには「江戸六地蔵」の地蔵菩薩像があることで…
「水上バスで行こう!」がキャッチフレーズの東京水辺ライン。隅田川の両国を起点に両国〜浅草(二天門)〜浜離宮〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園に水上バスを運航。注意したいのは東京都観光汽船とは異なること。お台場海浜公園の桟橋は…
江戸時代には旧暦1月15日が小正月、7月15日がお盆ということもあって、1月16日、7月16日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔大王を祀る寺では、縁日として賑わいました。藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人…
東京都公園協会が運航する東京水辺ライン。両国を起点に浅草(二天門)発着場に寄港し、お台場海浜公園、さらには葛西臨海公園までクルーズします。両国〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園は、水上バス(海上バス)の定期クルーズとしては最…
都立公園を管理する東京都公園協会が運航する水上バスが「東京水辺ライン」。両国発着所をメインポートにして、浅草(二天門)からお台場海浜公園を結ぶ「浅草・お台場クルーズ」、葛西臨海公園まで足を伸ばす「葛西・浅草クルーズ」、そ…
毎月16日は閻魔大王の縁日。正月16日と7月16日は、閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)です。1月16日、7月16日前後に、奉公人は休暇をもらって故郷に帰るという「藪入り」(やぶいり)というしきたり…
1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満…
徳川家康が江戸入府の際に、住職に出会ったことが寛永寺と並ぶ徳川将軍家尊崇の寺となったとも伝えられる芝・増上寺。江戸時代には広大な敷地を誇る大寺院で、東海道側に設けられた大門がその玄関口として機能していました。大門は現存し…
異色の外観で銀座界隈を歩く外国人観光客も注目する築地本願寺。現在の建物は古代インドの寺院を思わせる風貌ですが、江戸時代の築地本願寺(西本願寺)は、やはり堂々たる大屋根の寺院建築。しかも八丁堀の海上を埋め立てたばかりの土地…
受験シーズンともなると合格祈願に訪れる人が多い湯島天神(正式名は湯島天満宮)。江戸時代には不忍池を眼下に、寛永寺を眼前にする高台の景勝地という地の利を活かし、料理茶屋が脇を固めて文人墨客が集う場所となっていました。江戸屈…