衆楽園

明暦年間(1655年〜1658年)に、津山藩2代藩主・森長継(もりながつぐ)が、京の仙洞御所を模して造らせたといわれる、池泉回遊式の大名庭園。藩政時代、津山藩(現・岡山県津山市)では他藩の使者を城内に入れずに、ここで対応したので「御対面所」とも呼ばれていました。後楽園よりも50年ほど早く築かれた庭園だということにも注目!

江戸時代には津山藩松平家の迎賓館として活用

往時には2400坪(7万4700平米)という広大な庭で、現在の規模は当時の3分の1ですが、中国地方に残される大名庭園の貴重な遺構です。

津山藩2代藩主・森長継が小堀遠州流の造園師を京から招いて築いた京風の大名庭園ですが、森家は5代・森衆利(もりあつとし)で転封となり、以降は松平家(親藩)となって幕末を迎えています。

衆楽園が津山藩の「御対面所」となったのはこの松平家になってからと推測できます。

中国山地を借景に、南北に長い池には紅葉島や中島など、4つの島が浮かび、変化に富んだ眺めが楽しめます。
庭園の東側には全長210mの曲水が設けられているのも京の雅な雰囲気を醸し出しています。

南側は、海に見立てられた池が雄大な景観が広がり、草葺きの「余芳閣」や茶室の「清涼軒」、

「風月軒」など風情ある建物も復元されています。
「迎賓館」、「余芳閣」、「清涼軒」、「風月軒」は一般への貸し出しも実施。

ツツジの名所として知られるが、春のサクラ、初夏の睡蓮、秋の紅葉、冬の雪景色など、四季折々に美しい庭園です。

明治維新後の明治3年、衆楽園(しゅうらくえん)と命名され、一般公開されています。

旧津山藩別邸庭園(衆楽園)として国の名勝に指定。

全長210mの曲水
10帖の茶室が設えられた「風月軒」
衆楽園
名称 衆楽園/しゅうらくえん
所在地 岡山県津山市山北628
関連HP 津山市公式観光サイト
電車・バスで JR津山駅から徒歩20分
ドライブで 中国自動道津山ICから、院庄ICから約6km
駐車場 130台/無料
問い合わせ 衆楽園 TEL:0868-23-6507
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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