桶狭間・高根山(有松神社)
愛知県名古屋市緑区、大高緑地公園の東側にある桶狭間(おけはざま)・高根山(有松神社)は、住宅地の一角になっていますが、標高54.5mと一帯の最高地点。桶狭間の合戦の際に今川軍の先鋒として、遠江二俣城主・松井宗信(今川義元…
愛知県名古屋市緑区、大高緑地公園の東側にある桶狭間(おけはざま)・高根山(有松神社)は、住宅地の一角になっていますが、標高54.5mと一帯の最高地点。桶狭間の合戦の際に今川軍の先鋒として、遠江二俣城主・松井宗信(今川義元…
愛知県名古屋市緑区桶狭間神明にある神社、桶狭間神明社(おけはざましんめいしゃ)。南北朝時代に南朝の落武者が逃げ込んで開いたと伝わる桶狭間村で、村人が尊崇した村社が神明社です。桶狭間の戦いでは瀬名氏俊(せなうじとし=今川本…
愛知県豊明市栄町にある高野山真言宗の寺、高徳院。今川義元の本陣が置かれたとされる場所に明治27年、高野山から移った寺です。寺伝では弘仁元年(810年)、空海開創という古刹で、万延元年(1860年)、今川義元の三百忌を記念…
愛知県小牧市間々本町にある浄土宗鎮西派の寺、間々観音(ままかんのん)。飛車山龍音寺(りゅうおんじ)が正式名で、尾張三十三観音の第二十四番札所。本尊の千手観音像には授乳の願いに御利益があると有名で、「おっぱい観音」とも呼ば…
愛知県小牧市にある標高54.6mの丘が岩崎山。小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉軍が砦を築き、美濃国の稲葉一鉄と貞通親子が4000の兵を率いて布陣した岩崎山砦跡。頂からは徳川軍が布陣した小牧山を一望に。岩崎熊野神社が鎮座…
愛知県名古屋市中区にある臨済宗妙心寺派の寺、総見寺。本能寺で無念の死を遂げた織田信長の菩提寺で、慶長16年(1611年)の「清洲越し」(清洲から名古屋への城下町の大移転)で、現在地・大須に移っています。寺の名も織田信長が…
京都市北区上賀茂本山に鎮座する平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の式内社が大田神社(おおたじんじゃ)。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の東500mにあり、現在は上賀茂神社の境外摂社のひとつですが、参道脇のカキツバタ群落は、「大…
愛知県刈谷市広小路にある浄土宗西山禅林寺派、十念寺。境内には延享4年(1747年)以降、譜代大名として刈谷藩2万3000石の藩主を務めた土井家廟所があります。本尊は阿弥陀如来で、十一面観音菩薩像は元禄15年(1702年)…
愛知県刈谷市にある宝暦6年(1756年)、松秀寺(曹洞宗)の境内に秋葉山から火伏せの神様・秋葉三尺坊大権現を勧請して創建したのが秋葉神社(創建当時は秋葉堂)。創建の翌年に創始したのが有名な『万燈祭』(まんどまつり)ですが…
愛知県新城市有海稲場にある曹洞宗の寺、新昌寺。境内には長篠の合戦で非業の死を遂げた鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の墓があります。武田軍が包囲する長篠城から脱出し岡崎城へと援軍を要請に走り、その帰路、武田軍に見つかり磔死…
愛知県知立市西町にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載される古社が知立神社(ちりゅうじんじゃ)。三河国二之宮で、江戸時代には碧海郡、そして東海道五十三次の39番目の宿場、池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の鎮守社にもなってい…
愛知県豊川市白鳥町に鎮座する古社が、三河国総社(三河総社)。隣接して三河国の国府の遺構が発掘される白鳥遺跡(曹源寺周辺)があり、律令制の始まった時代の三河国の中心にあたります。国司が国内に鎮座する神社を巡拝する慣習を簡略…
広島県三次市にある臨済宗妙心寺派の寺、鳳源寺(ほうげんじ)。三次藩(みよしはん)の初代藩主・浅野長治(あさのながはる)が、寛永10年(1633年)に建立した浅野家の菩提寺。境内には赤穂浪士47人の出立の姿を模した木像を安…
広島県広島市東区にある東照大権現(徳川家康の神号)を祀る神社が広島東照宮。広島藩2代藩主・浅野光晟(あさのみつあきら)は、生母である正清院(振姫)が家康の三女ということもあり、慶安元年(1648年)に東照宮を城下に創建し…
広島県竹原市の竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)に建つ浄土真宗の寺、照蓮寺(しょうれんじ)。恵明、片雲など江戸時代には優れた学者僧を輩出し、儒学者・頼春水(らいしゅんすい=頼山陽の父)一門などがこ…
広島県竹原市にある浄土宗の寺が西方寺。永禄3年(1560年)、方誉が念佛道場として開山と伝えられる浄土宗の古刹。国の重要伝統的建造物群保存地区となっている竹原町並み保存地区にあり、清水寺を模して建てられたという普明閣の舞…
奈良県奈良市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載される古社が氷室神社(ひむろじんじゃ)。平城京遷都後の和銅3年(710年)、春日野に築かれた氷室がルーツという古社で、奈良に都がある時代には宮中に氷を献上していました…
兵庫県神戸市兵庫区氷室町に鎮座する古社、氷室神社。『日本書紀』仁徳天皇62年の夏の条に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が闘鶏野(つげの)で氷室を発見したと記され、氷室神社境内の氷室旧跡だと推測されています。…