桜田八幡社(桜田勝景跡)

桜田八幡社(桜田勝景跡)

愛知県名古屋市南区呼続町八幡西にある八幡社が桜田八幡社。名鉄本笠寺駅を起点とする名古屋市の史跡散策路『桜田勝景と古墳めぐり』コースの途中にある神社で、境内には『万葉集』にも詠まれた「年魚市潟」(あゆちがた)の景観を歌った地を示す桜田勝景跡の碑が立っています。

古墳時代にかけての貝塚も

桜田八幡社(桜田勝景跡)
桜田勝景跡の碑

桜田八幡社の境内には弥生時代後期から古墳時代にかけての貝塚も残され、弥生時代後期の土器が出土。
出土品の「魚形土器」は全国的にも珍しいもので名古屋市の文化財に指定されています。

貝塚から出土した貝は、ハマグリ、アサリ、カキなどで、年魚市潟(あゆちがた)には豊かな漁業資源があり、それを求めて周辺の高台に人々が定住したことがよくわかります。

境内に立つ「桜田勝景跡の碑」は、「桜田へ 鶴(たづ)鳴きわたる 年魚市潟 潮干(しおひ)にけらし 鶴(たづ)鳴きわたる」 と『万葉集』にも詠まれた「年魚市潟」(あゆちがた)を眼下にした景勝地だったことを記した碑。
桜田八幡社が建つ場所は、南東に傾斜した高台で、勝景桜田を眺望する最適の場所だったのです。

桜田八幡社の建つ場所の字名は呼続(よびつぎ)ですが、本来の呼続は少し離れているので(名鉄本笠寺駅〜呼続駅の西側・旧東海道沿いの一帯)、境内地だけ飛び地と推測できます。

近くの笠寺公園(見晴台遺跡)には「名古屋市見晴台考古資料館」があるので、あわせて見学を。

愛知県の県名のルーツとなった年魚市潟を眺望

年魚市潟の「あゆち」は「あいち」に転じ、愛知という県名の由来にもなった地名です。
愛知県という県名はもちろん明治以降のものですが、尾張国の郡名として「愛智郡」(あいちぐん)は奈良時代からある地名。
愛智と記される前は年魚市、鮎市、吾湯市などと記され、「あゆち」と読んでいました。

愛知県の地名のルーツともなった年魚市潟は名古屋市南部の笠寺から鳴海にかけて広がっていた入江。
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が旅先で詠んだ八首の歌のうちの一首、「桜田へ 鶴(たづ)鳴きわたる 年魚市潟 潮干(しおひ)にけらし 鶴(たづ)鳴きわたる」(『万葉集』巻三・二七一) は、持統天皇の三河国・宮路山に行幸した際に同行し、この地の景観に感嘆して詠んだものといわれ、詠んだ場所は、今の桜田八幡社のあたりと推測されているのです。

『尾張名所図会』には「櫻村の田圃、すなわち万葉集によめる櫻田にて」と記されています(天白川流域は高度成長以前には田が広がっていました)。

桜田八幡社(桜田勝景跡)
名称 桜田八幡社(桜田勝景跡)/さくらだはちまんしゃ(さくらだしょうけいあと)
所在地 愛知県名古屋市南区呼続町八幡西14
関連HP 名古屋市南区公式ホームページ
電車・バスで 名鉄本笠寺駅から徒歩15分
駐車場 2台/無料
問い合わせ 名古屋市南区役所区政部地域力推進室生涯学習担当 TEL:052-823-9326
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
名古屋市見晴台考古資料館

名古屋市見晴台考古資料館

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桜田八幡社(桜田勝景跡)

桜田八幡社(桜田勝景跡)

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