神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑
神戸港のルーツ、メリケン波止場(メリケン波止場前交差点)に隣接する港公園に設置される石碑が神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑。仲良く2つの石碑が並び、左側が「海軍営之碑」、右側が陸奥宗光を讃える「陸奥宗光顕彰碑」です。
神戸港のルーツ、メリケン波止場(メリケン波止場前交差点)に隣接する港公園に設置される石碑が神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑。仲良く2つの石碑が並び、左側が「海軍営之碑」、右側が陸奥宗光を讃える「陸奥宗光顕彰碑」です。
明石海峡に臨む神戸市垂水区にある巨大な前方後円墳が五色塚古墳。墳丘長194m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mで兵庫県下最大の前方後円墳で、周囲に幅10mの堀を巡らせています。4世紀末〜5世紀初頭にかけて築造さ…
横浜スタジアムのある横浜公園一帯は、幕末までは横浜村の海岸部で、安政3年(1856年)に埋め立てられた太田屋新田で陸に。その後、開港とともにさらに埋め立てられて港崎町(みよざきちょう)となり、その一画に港崎遊郭がつくられ…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
須磨浦公園とその周辺は、源平合戦の一の谷古戦場の跡。公園内には平敦盛(たいらのあつもり)の供養のため建てられたという五輪塔、敦盛塚(神戸市指定有形文化財)もあります。弱冠17歳(『源平盛衰記』では16歳)にして一の谷の合…
源平合戦(治承・寿永の乱)の古戦場として知られる須磨。一の谷から西一帯の海岸が一の谷の戦いの舞台とされ、「戦の濱」と通称されています。現在は鉄拐山、鉢伏山を含む103.8haという広大な須磨浦公園として整備されています。…
慶長9年2月4日(1604年3月4日)、徳川家康が我が子・秀忠に命じて江戸・日本橋を起点とする全国の街道沿いに、1里(4km)毎に築かせたのが一里塚。街道の両側に対になって塚を築きその上に木を植えましたが、板橋区の志村一…
地方政治の祭政一致を目的に、聖武天皇が天平13年(741年)に諸国に勅願して建立した国分寺(金光明四天王護国之寺)。美濃国分寺跡は、大官大寺式伽藍配置の国分寺の寺域すべてが現存する全国唯一という貴重な史跡。昭和43年から…
岐阜県垂井町(たるいちょう)にある、南宮大社の神輿のお旅所として知られる神社。古代に美濃国(みののくに=岐阜県南部)国府があった地に建つ、国府之宮がルーツと推測される古社。境内から美濃国国府の政庁跡が発掘され、政庁正面に…
徳川家康が駿府に隠居する前年の慶長9年(1604年)、息子の秀忠に命じて、江戸・日本橋を起点にした街道整備の一環として、1里ごとに築かせた一里塚。国の史跡に指定される一里塚は全国に14ヶ所ありますが、そのうちのひとつが岐…
明治10年、西郷隆盛率いる西郷軍は西南戦争田原坂(たばるざか)の戦いに敗れ、鹿児島に戻り城山にたてこもります。政府軍4万に対し、西郷軍は300人という劣勢でしたが、9月19日から9月24日未明に至るまで、西郷隆盛は現在、…
奥会津、金山町は、日本有数の豪雪地帯(特別豪雪地帯の指定を受けています)。雪深い暮らしを先祖は知恵と巧みな技で克服してきましたが、そんな暮らしの歴史を集大成したのが旧玉梨小学校民具資料館。昭和52年に廃校となった玉梨小学…
横浜中華街の一画、横浜中華学院脇を通る関帝廟通り沿いに立つのが「日本における新聞誕生の地」碑。この場所で元治元年(1864年)6月28日、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『…
嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現・横浜市)の海岸近くで日米和親条約を締結しました。その歴史的な場所が、現在の大桟橋通りが海岸に出るところ、大さん橋ふ頭の付け根に園地として残さ…
日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(…
経済産業省の近代化産業遺産に認定される赤レンガ倉庫、50t起重機(ハンマーヘッドクレーン)のある新港ふ頭地区と、象の鼻パークを結ぶ「山下臨港線プロムナード」途中にあるかつてここを走った鉄道、臨港線(税関線)の新港橋梁。遊…
長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23…
諫早城(いさはやじょう=高城城)の城跡を整備した長崎県諫早市の諫早公園。その園内にある眼鏡橋(めがねばし)はもともと、諫早公園のそばを流れる暴れ川・本明川に架かっていた、天保10年(1839年)架橋の石橋。橋に階段があり…