前二子古墳
群馬県前橋市の赤城山南麓の古墳密集地帯、城南地区にある大室古墳群(国の史跡)のひとつが前二子古墳。墳丘長94m(全長148m)の前方後円墳で、石室も公開されています。しかも前二子古墳は、明治13年、日本で最初に西洋の科学…
群馬県前橋市の赤城山南麓の古墳密集地帯、城南地区にある大室古墳群(国の史跡)のひとつが前二子古墳。墳丘長94m(全長148m)の前方後円墳で、石室も公開されています。しかも前二子古墳は、明治13年、日本で最初に西洋の科学…
千葉県船橋市、船橋大神宮の境内にある明治13年に設置された歴史ある灯明台(とうみょうだい=灯台の前身)が、船橋大神宮灯明台。慶応4年(1868年)、戊辰戦争の戦火で船橋大神宮にあった常夜灯が焼失し、代わって築かれたのが船…
愛媛県西予市宇和町の卯之町に町民の寄付により明治15年に建てられた学校が、開明学校。現存する西日本最古の擬洋風学校建築として国の重要文化財に指定されています。その前身は学制発布の明治2年に造られた郷校の「申義堂」で、宇和…
愛媛県大洲市、明治34年、大洲商業銀行本店として建てられた和洋折衷の建物が、おおず赤煉瓦館。銀行建設の背景には、当時、大洲が養蚕・製糸の集積地として繁栄し、明治32年には「大洲繭売買所」が開設したことがあります。つまりは…
千葉県成田市、中世以来、成田山新勝寺の門前町として栄えたのが、今もレトロな家並みが残る成田山門前町。年間1200万人もの参詣者を集める門前町は、今も活気に満ち、なかでも新勝寺仁王門へと続く成田山表参道(成田街道)は、江戸…
千葉県松戸市にある最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の実弟で、水戸藩最後の藩主、徳川昭武(とくがわあきたけ)の別邸が戸定邸。高台に位置する一帯は戸定が丘歴史公園として整備され、戸定邸の向かい側には松戸市戸定歴史館が…
千葉県富津市富津、富津岬の沖合の浅瀬に築かれているのが第一海堡。東京湾要塞の一部として、富津岬側から第一海堡、第二海堡、第三海堡と3ヶ所築かれた海上砲台のひとつで、明治14年8月起工、明治23年12月完成と、最初に築かれ…
千葉県富津市富津、富津岬の沖合、東京湾の中央にあるのが第二海堡。東京湾要塞の一部として、富津岬側から第一海堡、第二海堡、第三海堡と3ヶ所築かれた海上砲台のひとつ。第二海堡は、明治22年に起工し、難工事の末、大正3年に完成…
山梨県内の城のなかで、日本100名城に選定されるのは武田氏の居館だった武田氏館(躑躅ヶ崎館=現・武田神社)と甲府藩の藩庁となった甲府城です。続日本100名城が、武田勝頼が築いた新府城、そして武田氏館の詰城の要害山城で、以…
鳥取県下で日本100名城に選定されるのは、鳥取藩の藩庁だった鳥取城のみ。続日本100名城に選定されるのが、鳥取城とともに因幡の名城とされる若桜鬼ヶ城、そして西伯耆の拠点となった米子城です。以上の3城が鳥取県三大名城といえ…
奈良県で日本100名城に選定されるのは、高取町の高取城だけですが、日本三大山城に数えられる名城。さらに城下町が宇陀松山伝統的建造物群保存地区となる宇陀松山城、江戸時代に郡山藩の藩庁となった大和郡山城が続日本100名城で、…
福井県下にある日本100名城選定の城は、江戸時代に築かれた天守が残る丸岡城、国の特別史跡の一乗谷城の2城。続日本100名城選定の福井藩の藩庁・福井城と、雲海に浮かぶ「天空の城」として有名な越前大野城、美浜町の国吉城を加え…
奈良県宇陀市にある山城の跡が、宇陀松山城(うだまつやまじょう)。南北朝時代に築城され、江戸時代初期の元和の一国一城令で廃城になった城で、城下町は宇陀市松山伝統的建造物群保存地区に選定され、「森野旧薬園」などがあります。国…
鳥取県八頭郡若桜町(わかさちょう)にある山城が、若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)。鳥取市にある鳥取城、鹿野城(しかのじょう)とともに因幡三名城に数えられています。標高446.0mの鶴尾山山頂が本丸で、比高は230mほど。…
鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期末(2400年前)〜古墳時代前期(1700年前)の集落遺跡が、青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)。山陰自動車道の建設に伴って見され、発掘調査で掘立柱の建物跡、火を焚いた跡、貝塚など…
鳥取県倉吉市不入岡にある、伯耆国の国府に関連する遺構が、不入岡遺跡(ふにおかいせき)。平成5年に溝や板塀によって区画された大規模な建物群が発掘され、話題に。伯耆国の国府に関連した遺構として、伯耆国庁跡、法華寺畑遺跡ととも…
鳥取県倉吉市国府、伯耆国分寺跡の北東にあるのが法華寺畑遺跡(ほっけじばたいせき)。伯耆国庁跡からは北東400m、伯耆国分寺跡には隣接する遺跡で、伯耆国分尼寺の跡とも推測されています。伯耆国府跡として国の史跡になっているほ…
鳥取県倉吉市国分寺、天平 13 年(741年)、聖武天皇の詔で伯耆国(ほうきのくに=現在の鳥取県中西部)に建立された国分僧寺(金光明四天王護国之寺)の跡が伯耆国分寺跡。国府川左岸の丘陵上に立地し、溝と土塁(南側は溝と築地…