ザビエルの道(西鹿鳴越道)

ザビエルの道(西鹿鳴越道)

大分県速見郡日出町豊岡にあるフランシスコ・ザビエルが府内の大友宗麟と会見する途上に歩いた道といわれるのが、ザビエルの道。豊前と豊後を隔てていた峠越えの場所が、鹿鳴越峠(かなごえとうげ)で、ザビエルの道と呼ばれるのは、宇佐から安心院を通って山田につながる西鹿鳴越道です。

天文20年、ザビエルは峠を越えて、大友宗麟の待つ府内へ

鹿鳴越峠は、立石から中山香、東山香を経て長野に通じる東鹿鳴越道(豊前道)と、宇佐から安心院を通って山田につながる西鹿鳴越道(宇佐道)の2つの峠道があり、東鹿鳴越は「殿様道」と呼ばれた道。 

対する西鹿鳴越は、天文20年(1551年)、イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)が通った道として「ザビエルの道」とも呼ばれています。
山口で布教活動をしていたザビエルを、豊後の府内(現在の大分市)に招いたのは、後にキリシタン大名となり、天正10年(1582年)に天正遣欧少年使節をローマに派遣した大友宗麟(大友義鎮)。
大友宗麟は世界の情報を手に入れようと考え、有力大名のもとでの布教を願ったザビエルにとっても、大友宗麟は魅力的な人物だったのです。

ザビエルは、豊前街道からこの峠道を越え、日出の港からポルトガル船で府内に入ったと伝わっています。
大友宗麟(大友義鎮)は初めてデウスの教えに耳を傾け、キリスト教の布教を許可(キリスト教を保護し、ヨーロッパにも「豊後王」として知られるようになります)。
ザビエルも府内に2ヶ月ほど滞在し、インドに旅立っています。

峠道からは高崎山や別府を望み、大分までも遠望できますが、途中には江戸時代からの一目城(ひとめじょう)石切場跡があります。

一目城は、日出城(暘谷城)を見渡すことができたことから付いた地名。

日出側の登山口には山田湧水があり、山田湧水を目指してアプローチを。
山田湧水から峠(経塚山分岐)までは徒歩1時間。
標高差300mを登ることになります。
途中の一目城石切場跡までなら片道20分ほどで到達。

北麓の臼杵市側からの入山は、速見広域農道沿いのポケットパークやまがを利用。
経塚山山頂西肩を抜ける速見広域農道を利用すれば経塚山山頂近く、峠入口まで車で入ることも可能。

ザビエルの道(西鹿鳴越道)
名称 ザビエルの道(西鹿鳴越道)/さびえるのみち(にしかなごえどう)
所在地 大分県速見郡日出町
関連HP ひじ町ツーリズム協会公式ホームページ
駐車場 山田湧水駐車場を利用/北麓の臼杵市側からの入山はポケットパークやまがを利用
問い合わせ ひじ町ツーリズム協会 TEL:0977-72-4255/FAX:0977-72-9044
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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