尾張国府推定地(尾張国衙址碑)
尾張国の総社、尾張大国霊神社(国府宮)近くの愛知県稲沢市松下2丁目に立つのが尾張国衙址碑(おわりこくがあとひ)。尾張国の国府の遺構はまだ見つかっていませんが、ここが尾張国府推定地。稲沢市の松下地区は、かつての字名が国衙(…
尾張国の総社、尾張大国霊神社(国府宮)近くの愛知県稲沢市松下2丁目に立つのが尾張国衙址碑(おわりこくがあとひ)。尾張国の国府の遺構はまだ見つかっていませんが、ここが尾張国府推定地。稲沢市の松下地区は、かつての字名が国衙(…
山口県萩市、重伝建に選定される堀内地区、萩城大手門(二の丸南門)跡の南50mに建つ厚狭毛利家(あさもうりけ)の萩屋敷の武家長屋が旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。萩に現存する武家長屋ではもっとも規模が大きな建物で、横一列に各部屋が…
山口県萩市、堀内地区の堀内鍵曲(ほりうちかいまがり)すぐ近くにある武家屋敷が口羽家住宅。口羽家は、萩藩の寄組士で1018石ほどの家柄。現存するのは、主屋と表門の2棟で、いずれも18世紀後半から19世紀初めに建てられたもの…
山口県萩市、萩城下の商家が並ぶ呉服町の御成道沿い、萩随一の豪商だった菊屋家住宅の向かいに建つ商家が旧久保田家住宅。久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移り、初代・久保田庄七が熊谷町の久保田家の分家となり、呉服商を開いた…
山口県萩市、土原地区にある武家屋敷の長屋門が小川家長屋門(こがわけながやもん)。小川家初代は毛利元就に仕え、その後、萩藩の大組士(500石)となり、幕末期の当主・小川厚狭佐(こがわあさのすけ)は慶応元年(1865年)〜明…
山口県萩市、かつての萩城三の丸、堀内にある益田家は、永代家老を務めた萩藩の重臣。屋敷が城下と結ぶ北総門に近い位置にあったため、見張り台も兼ねた矢倉をもっていたという。それが旧益田家物見矢倉で、北の総門からの人の出入りを見…
山口県萩市、川島地区を流れる人工河川の藍場川に面して建つのが桂太郎旧宅。弘化4年(1847年)に生まれ、3歳でこの川島地区に移り住んだ桂太郎は、のちに内閣総理大臣(第11代、13代、15代)に上りつめた人物。現在の建物は…
山口県萩市、川島地区の桂太郎旧宅近く、人工河川の藍場川に面して建つ武家屋敷が旧湯川家屋敷。長屋門があることでから、幕末に建てられた中級武士の邸宅と推測できます。船が通りやすいように高く造られた玄関口から道に架かる石橋のほ…
愛知県稲沢市国府宮(こうのみや)にある古社が尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)。尾張国の国府が近くにあり、尾張国に赴任した国司が国内の神社を巡拝する制度を簡略化するため、国府近くに選定、あるいは創建した尾張国総…
愛知県岡崎市井田町にあった中世の城が井田城。徳川家康生誕の岡崎城と、徳川家(松平家)の菩提寺・大樹寺(だいじゅじ )を結ぶ線の中間という、重要な位置にあり、徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)の…
山口県萩市、萩城城下町・呉服町にあり、萩藩の御用商人として藩を支えた豪商の館が重要文化財菊屋家住宅。現存する建物は江戸時代初期のもので、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが残り、うち4棟を一般公開。雪隠(せっちん)にも床の…
京都府京都市下京区、浄土真宗本願寺派の本山、本願寺(西本願寺)。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進で、大坂から移転したのが、現寺地での始まり。境内の南側、北小路通に南面して建つ唐門は、書院の正門で、聚楽第、伏見城の…
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の寺、円成寺(えんじょうじ)。円成寺の本堂の東側にあるふたつの小さな社が鎮守社である春日堂、白山堂。鎌倉時代初期の建築と推定され、現存する日本最古の春日造りの社…
奈良県奈良市、奈良町は中世以降発展し、近世に完成した歴史的な家並みが奈良町の町並み。和銅3年(710年)に遷都した平城京が造営されたおり、都の東に南都七大寺のひとつ元興寺(がんごうじ)の境内地として造られたのが奈良町の始…
京都府京都市東山区にある豊臣秀吉を祭神とする神社が豊国神社。入母屋造、檜皮葺きの唐門は、もともとは伏見城にあったものを廃城の際、二条城に、さらに以心崇伝が寛永4年(1627年)、二条城の唐門を譲り受けて金地院に。明治維新…
京都市伏見区桃山町、大坂と用を結ぶ水運の要衝の地・伏見に豊臣秀吉が隠居所として築いた豪壮な城が伏見城。現在は2代目の伏見城(木幡山伏見城)城跡一帯が伏見桃山城運動公園として整備されています。模擬天守も建っていますが、本丸…
奈良県奈良市、ならまち地域にある国の重要文化財に指定される建造物が今西家書院。室町時代の典型的な書院造りの様式を伝える文化財で、興福寺大乗院の坊官である福智院家の住まいだったもの。大正13年に造り酒屋の今西家の所有となり…
愛知県一宮市木曽川町黒田にある中世の平城の跡が黒田城。鎌倉と京を結ぶ鎌倉街道沿い、美濃国との国境となる木曽川に近い要衝で、天文年間の初め(1532年以降)、岩倉城主・織田信安(織田信長の一族とは別)の家老・山内盛豊(やま…