古くから神話に登場、古代にはヤマト王権や朝廷の東国支配の拠点にもなった古社が、千葉県香取市に鎮座する香取神宮。社伝によれば創建は神武天皇18年(紀元前643年)という東国屈指の歴史を誇ります。下総国一之宮で、全国に約400社ある香取神社の総本社で、明治以前には伊勢、香取、鹿島のみが神宮を名乗ることができました。
古代に東北の蝦夷を平定するために鎮座
祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。
出雲の国譲りの神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の指示で出雲に派遣され、大国主神から国を譲られた神様が経津主神です。
国家鎮護の神、そして武神として朝廷、武家の信仰もあつく、源頼朝の寄進状も残されています。
元旦に天皇が諸国の神社や天皇陵を遥拝する四方拝(しほうはい)の一社にもなっています。
経津主神が春日大社や鹽竈神社(しおがまじんじゃ)にも祀られるのは、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)とともに中臣氏(なかとみうじ=後の藤原氏)の氏神だったから。
利根川を挟んだ対岸に武甕槌大神を祀る鹿島神宮が鎮座するのは偶然ではありません。
古代には、東北に君臨した蝦夷(えみし=大和朝廷に服属しなかった東北を領有した民)の征討するための最前線に位置し、その平定を目的に創建されたと推測できます。
中世から近世には武家の尊崇を受け、今でも鹿島神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)とともに、東国三社巡りという習わしが残されています。
江戸時代には伊勢参りのみそぎの東国三社参りとして隆盛し、内海の舟運(内陸航路)を利用して参拝するのが一般的でした。
元旦に天皇が行なう宮中祭祀のひとつ『四方拝』で拝まれる神社の一社にもなっています。
現存する社殿は徳川綱吉の寄進
現存する社殿は元禄13年(1700年)、5代将軍・徳川綱吉の寄進。
徳川綱吉時代の拝殿は、戦前の大修築で、今は祈祷殿として再生されています。
本殿・楼門は国の重要文化財に、旧拝殿(祈祷殿)は千葉県指定文化財に、拝殿は国の登録有形文化財に指定されています。
大山祇神社(愛媛県)の神鏡と正倉院御物とともに「日本三銘鏡」に数えられる国宝「海獣葡萄鏡」(かいじゅうぶどうきょう)を収蔵する宝物殿もお見逃しなく。
唐の時代の中国で盛行した海獣葡萄鏡のひとつで、8世紀に唐(中国)から渡来し、一面は聖武天皇の遺品として正倉院に伝えられ、一面は香取神宮の秘宝として伝えられたとされています。
明治時代までは、神鏡として本殿内陣に秘蔵されていましたが、現在は宝物殿に安置されています。
境内には地震を鎮める要石(かなめいし)、拝殿前に立つ樹齢1000年という大杉(御神木)、源頼義の祈願で三股に分かれたという三本杉、筑波山を眺める桜馬場(鹿苑)などがあります。
また、境内は美人桜の名がある桜の名所にもなっています。
楼門から旧参道を西に歩くと経津主大神の荒魂を祀る奥宮。
現在の社殿は昭和48年、伊勢神宮遷宮の際の古材で建てられています。
また、鳥居河岸(とりいがし)と通称される津宮河岸(つのみやかし/香取市津宮)には常夜燈(香取市指定文化財)、津宮浜鳥居、与謝野晶子歌碑が立っていますが、ここが往時の舟運での参拝の際の上陸地点。
12年に一度、午年(うまどし)に行なわれる『式年神幸祭』の際には、ここから御神輿をのせた御座船が利根川を遡ります。
香取神宮は、日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。
香取神宮 | |
名称 | 香取神宮/かとりじんぐう Katori Jingu Shrine |
所在地 | 千葉県香取市香取1697 |
関連HP | 香取神宮公式ホームページ |
電車・バスで | JR香取駅から徒歩25分。または、JR東京駅八重洲南口から関鉄グリーンバス「あそう号」鉾田駅行きで、1時間11分、香取神宮前下車、徒歩5分。JR東京駅八重洲口から京成・千葉交通バス銚子行き小見川ルートで、1時間24分、佐原香取(香取IC)下車、徒歩15分 |
ドライブで | 東関東自動車道佐原香取ICから約1.6km |
駐車場 | 300台/無料 |
問い合わせ | 香取神宮社務所 TEL:0478-57-3211/FAX:0478-57-3214 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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