千葉県千葉市花見川区検見川町5丁目にある通信施設の遺構が、旧検見川無線送信所。大正15年4月、東京無線局検見川送信所として開局、日本で初となる遠くまで届く短波による標準電波を送信した施設で、レトロな本館の建物が現存しています。
吉田鉄郎設計、初期モダニズムの傑作が現存
設計は、東京中央郵便局(昭和8年)、京都中央電話局(大正15年・昭和6年/現・「新風館」)、下関電信局電話課(大正13年/現・「下関市立近代先人顕彰館」)、山田郵便局電話分室(大正12年/現・フランス料理店「ボンヴィヴァン」)も担当した通信建築の先駆者といわれる逓信省営繕課技師・吉田鉄郎(よしだてつろう)。
吉田鉄郎は、数多くのモダニズム建築を残していますが(ブルーノ・タウトは、来日時、東京中央郵便局を、モダニズムの傑作と称賛)、旧検見川無線送信所本館もそのひとつです。
昭和5年4月22日、ロンドン軍縮条約(イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアの第一次世界大戦の戦勝国が開催したロンドン海軍軍縮会議で討議)が締結、「ライオン宰相」と称された濱口雄幸(はまぐちおさち)内閣総理大臣が10月27日に行なった記念演説をアメリカ、イギリスに向けて発信しています。
逆にアメリカのハーバート・フーヴァー大統領、イギリスのラムゼイ・マクドナルド首相の演説を受信し、ラジオ放送で配信。
濱口雄幸首相は、11月14日、反共右翼団体・愛国社の佐郷屋留雄に東京駅で銃撃され命を落としています。
検見川無線送信所は戦時下には南方の占領地との通信拠点となり、戦後は日本電信電話公社の無線送信所として利用されましたが、昭和54年に廃止。
建物も破却される予定でしたが、「検見川送信所を知る会」が中心となって保存運動を展開、千葉市も「逓信省営繕課には優秀な建築家が多く集まり、『逓信建築』といわれる秀逸な公共建築を築いてきたが、吉田鉄郎は山田守らと共にその黄金期を築いた建築家である」とし、「旧検見川無線送信所は初期モダニズムの作例であり、日本近代建築が画一的な合理主義やインターナショナルスタイルへ収斂していく前の、過渡的な時代の作品である。日本近代建築の変遷を知るうえで重要な位置を占める」ことで保存していく意向です。
ただし、残念ながら利用方法は決まっておらず、現在は非公開です。
旧検見川無線送信所 | |
名称 | 旧検見川無線送信所/きゅうけみがわむせんそうしんじょ |
所在地 | 千葉県千葉市花見川区検見川町5-2267-2 |
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