岐阜県六大名城とは!?

岐阜県六大名城

肥沃な濃尾平野の扇の要となる美濃国(岐阜県南部)は、斎藤道三、織田信長の覇権争いの地。信長が天下布武を掲げた岐阜城、日本三大山城の岩村城が日本100名城。続日本100名城選定の郡上八幡城、苗木城、美濃金山城、大垣城の計6城が岐阜県六大名城といえる城で、いずれも美濃にあります。

岐阜城|日本100名城

所在地:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
築城年:天文8年(1539年)、永禄10年(1567年)頃
築城者:美濃国守護代・斎藤利政(後の斎藤道三)、織田信長・織田信忠(信長の嫡男)
主な城主:斎藤利政(斎藤道三)、斎藤龍興、織田信長、織田信孝(織田信長の三男)、池田輝政
史跡:国の史跡(金華山山上に建ち、金華山一帯の209haが国の史跡)
文化財:曲輪、石垣、土塁、堀切などのみ現存
備考:織田信長が天下布武を唱えだした城
関ヶ原の合戦後、慶長5年(1600年)に廃城
山麓に信長公居館跡、山頂に昭和31年に完成した鉄筋コンクリート3層4階建ての模擬天守があり、金華山ロープウェーが結ぶ

岐阜城

岐阜(ぎふ)の市街を見下ろす金華山(329m)の山頂に建つ山城。かつては斎藤道三の居城・稲葉山城でしたが、1567(永禄10)年、織田信長は小牧山城(愛知県小牧市)から本拠を移し、新たに山城を築城して岐阜城と改名しました。織田信長は、岐阜城

岩村城|日本100名城

所在地:岐阜県恵那市岩村町城山
築城年:文治元年(1185年)、織田家が攻略後の天正3年(1575年)、天正11年(1583年)
築城者:源頼朝の重臣・加藤景廉(かとうかげかど)、河尻秀隆(かわじりひでたか=織田家の家臣で、織田信忠付きの武将)、各務元正(かがみもとまさ=森家の家老)=現存する城郭に大改修
主な城主:遠山景任、遠山景前、河尻秀隆、各務元正、田丸直昌、丹羽氏信、松平乗紀
史跡:県の史跡
文化財:石垣、郭、井戸などのみ現存
備考:岩村藩の藩庁、標高717mに位置し、藩庁としては日本最高所
日本三大山城のひとつ

岩村城

標高721mの城山の山頂に築かれ、高低差180mの地形を活かした堅固な山城が岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。大和・高取城、備中・松山城と並び、「日本三大山城」のひとつに数えられています。地形的な要因で霧が立ちこめやすいことから「霧ケ城」とも

郡上八幡城|続日本100名城

所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
築城年:永禄2年(1559年)、大改修=寛文7年(1667年)
築城者:遠藤盛数(えんどうもりかず)、遠藤常友(えんどうつねとも)
主な城主:遠藤常友、金森頼錦、遠藤慶隆(初代郡上藩の藩主)
史跡:岐阜県の史跡
文化財:曲輪、石垣などのみ現存
備考:郡上藩の藩庁
司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城であり、隠国(こもりく)の城。」(『街道をゆく』)と紹介
木造で昭和8年に建築された模擬天守は、現存最古の模擬天守

郡上八幡城

1559(永禄2)年、遠藤盛数(えんどうもりかず)によって砦が築かれたのが郡上八幡城の始まり。1667(寛文7)年、6代城主・遠藤常友の時代に修復によって、幕府から城郭として認められ改修を行なっています。1755(宝暦5)年には近代史に残る

苗木城|続日本100名城

所在地:岐阜県中津川市苗木2799-2
築城年:天文元年(1532年)
築城者:遠山直廉(岩村城主・遠山景前の弟)
主な城主:遠山直廉、遠山友忠、遠山友政
史跡:国の史跡
文化財:石垣、堀、井戸などのみ現存
備考:苗木藩の藩庁
幕末には財政破綻し、明治維新後に苗木城破却に伴う建材や武具などの売却で借金を返済
山麓の「中津川市苗木遠山史料館」では苗木城の歴史、藩政時代の苗木藩についてを詳しく解説

苗木城

苗木城

岐阜県中津川市にあった中世から近世の山城が苗木城(なえぎじょう)。天文元年(1532年)、美濃国岩村城主・遠山景前(とおやまかげさき)の弟、遠山直廉(とおやまなおかど)が木曽川に臨む標高433mの高森山(通称:城山)に築いた遠山氏の居城。江

美濃金山城|続日本100名城

所在地:岐阜県可児市兼山古城山1418
築城年:天文6年(1537年)
築城者:斎藤道三(実際の築城担当者は養子の斎藤正義)
主な城主:森可成、森成利
史跡:国の史跡
文化財:曲輪、石垣、土塁、堀、井戸などのみ現存
備考:尾張侵攻を目論む斎藤道三が築城、美濃支配を強固にする織田信長が攻略

美濃金山城

美濃金山城

岐阜県可児市(かにし)、標高277mの古城山の山頂に築かれた中世の山城跡が、美濃金山城(みのかねやまじょう)。続日本100名城に選定されるほか、美濃金山城跡として国の史跡に指定。天文6年(1537年)、尾張侵攻を目論む斎藤道三の命で養子の斎

大垣城|続日本100名城

所在地:岐阜県大垣市郭町2-52
築城年:天文4年(1535年)、天守創建=慶長元年(1596年)
築城者:宮川安定、伊藤祐盛(天守創建)
主な城主:戸田氏鉄
史跡:大垣市の史跡
文化財:石垣、曲輪などのみ現存
備考:本丸、二の丸跡を大垣公園として整備
太平洋戦争の大垣空襲で国宝天守を焼失、昭和34年4月に、4層4階の天守閣を、昭和42年に乾櫓を再建復元

大垣城

関ヶ原の合戦では西軍の石田三成の本拠地となった城が大垣城。1535(天文4)年、美濃守護・土岐一族の宮川安定により創建。1596年(慶長元)年に伊藤祐盛が、豊臣秀吉の命により4層4階建ての天守を築いています(天守完成は天正16年・1588年

岐阜県六大名城とは!?
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愛知県七大名城

愛知県七大名城とは!?

地元で三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の出身県でもある愛知県。日本100名城選定の名古屋城、岡崎城、長篠城、犬山城(国宝天守)と、続日本100名城選定の小牧山城、吉田城、そしてちょっぴり無名の古宮城が愛知県七大名城といえる城です。名古

三重県六大名城

三重県六大名城とは!?

戦国時代に織田信長が一揆軍に手を焼き、江戸時代初期には徳川幕府が大坂城へ睨みを効かせた三重県(伊勢・伊賀)。日本100名城に選定の伊賀上野城、松坂城、続日本100名城の津城、多気北畠氏城館、田丸城、赤木城が三重県六大名城で、築城の名手、藤堂

静岡県七大名城

静岡県七大名城とは!?

旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神城、浜松城の合計7城

滋賀県六大名城

滋賀県六大名城とは!?

京に近く、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通、琵琶湖舟運の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」といわれた滋賀県。日本100名城選定の彦根城、安土城、小谷城(おだにじょう)、続日本100名城の観音寺城、八幡山城、鎌刃城(かまはじ

日本100名城 東海地区11城

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の地に建つ「日本100

 

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