和歌山県二大名城とは!?

和歌山県二大名城

和歌山市は、徳川御三家・紀州徳川家の城下町。藩庁となった和歌山城は、日本100名城に選定。続日本100名城に選定されるのは、一国一城令以降も、支城として認められた新宮城。水野家3万5000石の居城ですが、大名には数えられていません。この2城が和歌山県二大名城ということに。

和歌山城|日本100名城

所在地:和歌山県和歌山市一番丁3
築城年:天正13年(1585年)、近世城郭=元和7年(1621年)
築城者:羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・羽柴秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら)を普請奉行にして築城、近世城郭に大改修=徳川頼宣(とくがわよりのぶ=徳川紀州藩の祖)
主な城主:羽柴秀長、浅野幸長、徳川頼宣
史跡:国の史跡
文化財:岡口門と土塀(ともに国の重要文化財)、追廻門(和歌山市文化財)、特産の青石を使った野面積の石垣、二の丸にある大楠(和歌山県の天然記念物)、西の丸庭園(国の名勝)
備考:徳川頼宣は、城郭と城下町の大規模な拡張を行ない、二の丸部分に本丸御殿を築き、新たに二の丸を山麓に構築、以降、徳川御三家の一つ紀州徳川家55万5000石の居城に
国宝だった嘉永3年(1850年)再建の天守など11棟は和歌山大空襲で焼失
現在の天守は昭和33年築の復興天守(外観復元)

和歌山城

和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら

新宮城|続日本100名城

所在地:和歌山県新宮市新宮7691-1
築城年:慶長6年(1601年)
築城者:和歌山城主・浅野幸長(よしなが)の一族、浅野忠吉
主な城主:水野重仲(水野重央)、水野重良(みずのしげよし)
史跡:国の史跡
遺構:石垣、天守台などが現存
備考:元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となりますが、紀州と尾張の中間ということもあり3年後に再建が許可され、紀伊新宮藩の藩庁に
紀州藩の家老職でもある水野家3万5000石の居城に(ただし、公式には紀州徳川家の家臣で、大名としては扱われていません)
本丸に上れば「沖見城」の別名をもつほど、熊野川から太平洋(熊野灘)にかけての眺めが抜群

新宮城

新宮城

和歌山県新宮市、熊野川(新宮川)を眼下にする丹鶴(たんかく)山にあり、丹鶴城とも呼ばれた近世城郭の城跡が新宮城。慶長6年(1601年)、和歌山城主・浅野幸長(よしなが)の一族、浅野忠吉が築城。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となりま

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