福岡平野中央からやや東寄り、福岡空港の南西、福岡市博多区板付にある縄文時代末期から弥生時代後期にかけての二重環濠集落が板付遺跡(いたづけいせき)。環濠集落とは、周囲に水濠を巡らせたムラのこと。縄文時代晩期から弥生時代後期の遺跡で、唐津市の菜畑遺跡とともに日本で最も早く稲作農耕が開始された地です。国指定の史跡。
日本で初めて米作りをした二重環濠集落
標高11・12mの低い台地の上に集落があり、幅は2mから4m、深さは2・3m、東西80m.、南北110mというV字型の深い溝に取り囲まれています。
また台地の縁に沿って旧諸岡川から引き込んだ用水路が巡らされ、井堰(いせき)や水口などの灌漑施設を設けているのが特徴的。
整備された水田が開かれ、稲作とともに高度な土木技術が日本にもたらされたことを証明する遺跡となっています。
この板付遺跡のムラは、弥生時代前期末には九州北部でも有数の集落だったと推測されています。
発掘調査では集落、墓地、水田が判明し、弥生時代のムラの生活が把握できるようになりました。
水濠周辺には竪穴式住居や米や食料の貯蔵穴も見られるほか、甕棺(かめかん)墓や青銅製の細形銅剣なども出土。これらの発掘資料は、敷地内にある「板付遺跡・弥生館」で展示公開されています。
館内や復元された弥生時代の水田で、米作りの歴史や弥生時代の暮らしを体験しながら学ぶことが可能。
板付遺跡の発掘調査により、水田稲作農耕は、遅くとも紀元前5世紀に大陸から北九州に渡来し、急速に定着したことが判明しています。
墓地に眠る弥生人は、大陸からの渡来人、あるいは渡来人との混血と推測できるのです。
板付遺跡 | |
名称 | 板付遺跡/いたづけいせき |
所在地 | 福岡県福岡市博多区板付3-21-1 |
関連HP | 福岡市公式ホームページ |
ドライブで | 福岡都市高速月隅ランプから約1.3km。または、板付ランプから約2.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 板付遺跡弥生館 TEL:092-592-4936 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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