福岡県福岡市西区徳永、今宿バイパス徳永東交差点の南側、若八幡宮神社境内にある墳丘長47mの前方後円墳が、若八幡宮古墳。鋤崎古墳、丸隈山古墳、山の鼻1号墳、若八幡宮古墳、兜塚古墳、大塚古墳などとともに今宿平野に築かれた今宿古墳群を構成する古墳で、国の史跡。
貴重な方形板革綴短甲が出土
高祖山山系から派生する標高29mほどの丘陵上に築かれ、前方部を北に向けた古墳。
若八幡宮神社の社殿背後の丘陵に、前方部先端を失った状態で墳丘が残り、墳丘上からは今宿平野を一望にします。
後円部3段、前方部2段の構造で、墳丘の斜面には葺石が配されています。
埋葬施設は、後円部の円形墓壙のなかに杉製の舟形木棺を粘土で包んだかたちのものですが、北九州に朝鮮半島から横穴式石室という、何度も埋葬が可能な石室形態が伝わるのは4世紀の終わり頃なので(鋤崎古墳の横穴式石室がその初期のもの)、それ以前の古墳だということがわかります。
三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)1面、鉄製環頭太刀・剣・刀子・斧・鏃、銅製有孔円盤、玉類などの副葬品が出土しています。
三角縁神獣鏡は、畿内のヤマト王権との密接な関係を示すもの。
古墳時代の開始とともに鉄製の甲冑が日本列島に出現し、古墳に副葬されるようになりますが、若八幡宮古墳から出土した方形板革綴短甲(ほうけいいたかわとじたんこう)は、全国的に見ても古い形の甲冑です。
出土品から、若八幡宮古墳は、4世紀後半の築造と推測され、今宿古墳群のなかでも山の鼻1号墳に次ぐ最古級の古墳に位置づけられています。
しかも古墳時代前期の甲冑の出土は日本全体で35例、九州では4例しかなく、若八幡宮古墳出土の方形板革綴短甲は、全体がよく残った貴重なもの。
山の鼻1号墳、若八幡宮古墳など、今宿古墳群の初期の被葬者は、畿内のヤマト王権と結びつきが強く、また、中国や朝鮮半島との交渉のパイプを有し、最新の文化を積極的に受容できる立場にあった首長と推測できます。
今宿古墳群(大塚古墳、丸隈山古墳、山の鼻1号墳、飯氏二塚古墳、兜塚古墳、鋤崎古墳、若八幡宮古墳)は、横穴式石室を日本で最初に墓室として導入した古墳群で、4世紀〜6世紀にかけて前方後円墳が継続して築造されるという、全国的に見ても珍しい古墳群です。
しかも福岡市教育委員会の調査によれば、古墳の総数は三百数十基(うち11基が前方後円墳)。
古墳時代には高祖山の麓は、古墳がズラリと並ぶ壮観な景色が広がっていたと推測できます。
若八幡宮古墳 | |
名称 | 若八幡宮古墳/わかはちまんぐうこふん |
所在地 | 福岡県福岡市西区徳永下引地280-2 |
関連HP | 福岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR九大学研都市駅から徒歩10分 |
問い合わせ | 福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課 TEL:092-711-4666 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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