「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分ほど。比較的平坦なコースで、ファミリーでも歩ける道です。
START|岐阜関ケ原古戦場記念館
起点となるのは関ケ原町役場横にある岐阜関ケ原古戦場記念館です。
黒田長政コースを歩く前には、ここでまずは関ケ原合戦に至る歴史的な背景と、合戦に至る過程、古戦場の全貌などをマスターしておくのがいいでしょう。
松平忠吉・井伊直政陣跡
もともと、東軍の先鋒は賤ヶ岳の七本槍でも知られる秀吉恩顧の福島正則が務めることが軍議で決まっていました。
その取り決めを破って、松井忠吉・井伊直政隊は、抜け駆けで合戦の火蓋を切っています(井伊直政隊は有名な「井伊の赤備え」)。
9月15日の8:00頃、福島正則隊の先頭隊長・可児吉長(かによしなが=可児才蔵)の制止を振り切って、宇喜多隊へ発砲し、敵軍に戦を仕掛けています。
どうして軍律に背いてまでも戦の火蓋を切ったのかといえば、松平忠吉が初陣(ういじん)だったから。
井伊直政は本多忠勝とともに関ヶ原合戦に参戦した徳川四天王。
松平忠吉は徳川家康の四男ということもあって福島正則としては文句が言えないだろうと、意図して軍律違反したのだと推測できます。
藤堂高虎・京極高知陣跡
関ヶ原合戦で先鋒を任されたのが、福島正則で、その背後に控えた第2陣が藤堂高虎・京極高知隊です。
東軍左翼縦隊の第2陣として大谷吉継隊の平塚為広隊を壊滅させ、小早川秀秋軍1万5000人の参戦もあって大谷隊を打ち破っています。
藤堂高虎は、7度も主君変えした苦労人だけに、天下分け目の関ヶ原合戦では、徳川家康に人質として弟を差し出し、小早川秀秋に東軍への寝返りを調略しています。
東軍の前線は、福島正則、藤堂高虎、京極高知と豊臣秀吉恩顧の大名が担っていたことがよくわかります。
福島正則陣跡
秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄の福島正則ですが、福島正則は、石田三成襲撃事件をも起こした武断派で文治派の三成とは対立していました。
関ヶ原の合戦では前線に近い春日神社に陣を構え、東軍の先鋒として活躍。
宇喜多秀家軍1万7000と戦闘に突入、一時退却を余儀なくされますが、なんとか敵軍の進軍を食い止めています。
宇喜多秀家陣跡
西軍の副将だったのが宇喜多秀家で、天満山に陣取り、石田三成の拠る笹尾山、小早川秀秋の拠る松尾山、そして毛利秀元の南宮山という布陣で、東軍を囲む鶴翼の陣(かくよくのじん)を敷いていました。
井伊直政、そして本来の東軍先鋒の福島正則軍による宇喜多秀家軍との衝突で、関ヶ原の合戦の火蓋は切られました。
西軍主力部隊を率いて、東軍の福島正則隊と熾烈な戦いを繰り広げました。
敗戦後、宇喜多秀家は、島津氏を頼り薩摩国へ逃げますが徳川方に引き渡され、島津氏や前田氏の懇願で八丈島への流罪となっています。
開戦地
天下分け目の関ヶ原合戦は、天満山に布陣する宇喜多秀家隊へ、徳川四天王の一人である井伊直政の部隊が鉄砲を放って開戦しています。
井伊直政隊に先を越された福島正則も、小西行長隊や宇喜多秀家隊と交戦状態となります。
両軍総勢20万人のうち、鉄砲隊は2万人ほどいて、国際的に見ても数多い鉄砲が使われた近世的な戦闘になっています。
様々な史料から、実際の開戦地は、「史蹟 関ヶ原古戦場 開戦地」の石碑から300m〜500mほど南側、宇喜多秀家の陣跡の目の前とされています。
農地改良事業などで、西田運動公園に石碑が移されたというのが真相です。
石田三成陣跡
伊吹山から派生する尾根の末端に位置する笹尾山の山頂は、関ヶ原を一望にできる展望地で、ここを石田三成の本陣に西軍は鶴翼の陣(かくよくのじん)で布陣。
200m東に二重の柵(馬防柵・竹矢来)を築き、猛者で知られる島左近を左翼に、蒲生郷舎(がもうさといえ)を右翼に配し、総勢6000の兵で守備します。
関ヶ原合戦の陣形図も置かれ、眼下に東軍が怒涛のように押し寄せた決戦地を眺めることができます。
ここに陣を定めたのは、石田三成の居城である佐和山城(現・滋賀県彦根市)への街道へも出やすいという地の利があるため、最初から万一を考えていたとする歴史考証家も。
徳川家康最後の陣跡
関ヶ原合戦では、午前中にはすでに両軍が放った鉄砲の煙で、家康が陣取った桃配山からは戦況が掌握しづらくなっていました(当時の日本は、世界一の鉄砲保有量を誇っていました)。
そこで、徳川家康は、大胆にも石田三成陣取る笹尾山が目と鼻の先となる地へ、本陣を移します。
これが「徳川家康最後の陣」で、南宮山の毛利秀元が背後を付けば挟み撃ちに合うという背水の陣的な場所ですが、あえてこの地を選び、東軍の将兵を鼓舞したのです。
この陣脇の床几場で敵将の首実検が行なわれ、東西の首塚に葬られました。
GOAL|岐阜関ケ原古戦場記念館
岐阜関ケ原古戦場記念館が設定する福島正則コースのMAPです。
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関ヶ原古戦場散策 福島正則コース | |
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