大垣市郷土館

大垣市郷土館

岐阜県大垣市、大垣公園(大垣城跡)の西にある戸田氏入城350年記念事業で昭和60年に開館したのが大垣市郷土館。玄関ロビーには大垣城郭の200分の1模型、『関ヶ原合戦絵図屏風』(複製)を展示。名君として知られる戸田氏鉄(とだうじかね)に始まり、戸田氏11代の治世を中心に解説しています。

大垣藩戸田氏の治世を紹介

歴代藩主の肖像、武具や九曜紋入調度の展示する「戸田公顕彰室」、大垣を紹介し大垣の歴史を年表で展示する「郷土歴史室」、「郷土美術室」などがあります。
また、樹齢500年を越すサツキの盆栽などが展示する日本庭園も併設。
大垣市郷土館の敷地は大垣藩最後の家老、戸田鋭之助(とだえいのすけ=大垣共立銀行の前身・第百二十九国立銀行の頭取や大垣商工会議所の会頭を務めています)の屋敷跡で正門と塀は往時のもの。

玄関ロビーに『関ヶ原合戦絵図屏風』(複製)が展示されるのは、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗(いとうもりまさ)が西軍に与したため、当初、石田三成らが入城して西軍の本陣となったため。
江戸時代には、揖斐川の舟運で伊勢長島・桑名を経由して名古屋などとも結ばれることから、木曽三川の要衝として譜代大名が藩主となりました。

寛永12年(1635年)、戸田氏鉄(とだうじかね)が大垣藩主となり、以降、譜代大名である戸田氏11代の治世が続いています。

戸田氏鉄は、三河国渥美郡(現・愛知県豊橋市)生まれの徳川家康の近習(きんじゅ)。
寛永14年(1637年)の島原の乱では、戸田氏鉄が実戦経験の少ない幕府軍を率いて、乱を鎮圧しています。

新田開発や治水工事などの藩政の功を賞して、隣接する大垣公園(大垣城跡)に、戸田氏鉄の銅像が立っています。

大垣市郷土館
名称 大垣市郷土館/おおがきしきょうどかん
所在地 岐阜県大垣市丸の内2-4
関連HP 大垣市公式ホームページ
電車・バスで JR大垣駅から徒歩8分
ドライブで 名神高速道路大垣ICから約6kmで大垣市営丸の内駐車場
駐車場 大垣市営丸の内駐車場(251台/有料)
問い合わせ 大垣市郷土館 TEL:0584-75-1231/FAX:0584-75-1231
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大垣城

関ヶ原の合戦では西軍の石田三成の本拠地となった城が大垣城。1535(天文4)年、美濃守護・土岐一族の宮川安定により創建。1596年(慶長元)年に伊藤祐盛が、豊臣秀吉の命により4層4階建ての天守を築いています(天守完成は天正16年・1588年

奥の細道むすびの地記念館

奥の細道むすびの地記念館

岐阜県大垣市、水門川の船町港跡近くに建つのが奥の細道むすびの地記念館。江戸時代、戸田氏10万石の城下町、宿場町、舟運の町としても発展した大垣。松尾芭蕉の有名な『奥の細道』は、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を旅立ち、大垣がそ

 

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