関ヶ原古戦場 藤堂高虎・京極高知陣跡

藤堂高虎・京極高知陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町、東海道新幹線の車窓から眺める関ヶ原古戦場には、東西両軍の武将が陣取った陣跡が表示され、陣跡を巡る散策が人気となっています。関ケ原町立関ケ原中学校のすぐ北側にあるのが藤堂高虎・京極高知陣跡。その西には福島正則陣跡もあり、東軍の前線部隊が一帯を陣取っていました。

東軍、第2陣も秀吉恩顧の藤堂高虎・京極高知が担う

関ヶ原合戦で先鋒を任されたのが、福島正則で、その背後に控えた第2陣が藤堂高虎・京極高知隊。
東軍左翼縦隊の第2陣で、戦いの火蓋が切られると不破関跡付近まで進撃し、午前中に大谷吉継(おおたによしつぐ=輿に乗って軍の指揮を執ったことで有名)隊の前備え360人を擁した平塚為広(ひらつかためひろ=美濃国垂井城主)と交戦、これを壊滅させ(平塚為広は山内一豊の家臣に討たれています)、それまで傍観していた小早川秀秋軍1万5000人が松尾山を下り、西軍の大谷吉継の陣へ攻め込んだ際には藤堂高虎・京極高知隊も加わって、大谷隊を打ち破っています。

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び、「築城三名人」とも称されますが、7度も主君変えした大名というのも異色です(最初に仕えたのは、浅井長政)。
苦労人だけに、天下分け目の関ヶ原合戦では、徳川家康に人質として弟を差し出し、小早川秀秋に東軍への寝返りを調略しています。

京極高知(きょうごくたかとも)も藤堂高虎同様に、豊臣秀吉に仕えた大名でしたが秀吉死後は徳川家康に接近し、関ヶ原合戦の前哨戦となる岐阜城攻めに参戦。
戦後は丹後国12万3000石を与えられ(それ以前は信州・伊那郡6万石)、国持大名に出世しています。

福島正則、藤堂高虎、京極高知と東軍の前線は、豊臣秀吉恩顧の大名が担っていたことがよくわかります。

「岐阜関ケ原古戦場記念館」では、福島正則コースとして、JR関ヶ原駅近くの松平忠吉・井伊直政陣跡、藤堂高虎・京極高知陣跡、福島正則陣跡、宇喜多秀家陣跡、開戦地、石田三成陣跡(笹尾山)、徳川家康最後の陣跡を巡る7km、2時間弱の周回コースを設定しています(車の場合は「岐阜関ケ原古戦場記念館」が起点)。

関ヶ原古戦場 藤堂高虎・京極高知陣跡
名称 関ヶ原古戦場 藤堂高虎・京極高知陣跡/せきがはらこせんじょう とうどうたかとら・きょうごくたかともじんあと
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原2491-101
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩12分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約1.5km
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
関ヶ原古戦場散策 福島正則コース

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