北アルプス、後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)の五竜岳。遠見尾根には白馬五竜テレキャビンが架かっていますが、その五竜岳の山頂に4月上旬から5月中旬と比較的に長い期間現れるのが「武田菱」の雪形。「武田菱」とは、菱形四つを菱形に組み合わせた、戦国武将・武田氏の家紋のことです。
五竜岳と武田信玄の関係とは!?
武田菱(四つ割り菱)が、現れることから御菱岳(ごりょうだけ)となり、それが五竜岳に転訛したと推測されています。
江戸時代の奥山廻り御用(飛騨山脈の見回り役)によって作図された『奥山御境目見通絵圖』には「後立山」(ごりゅうざん)という山名が記されていますが、これは鹿島槍ヶ岳と推測できるので、「後立山」(ごりゅうざん)が五竜に転じた可能性はまずありません。
地元では、割菱ノ頭と呼ばれてており、明治時代に地図を製作する際の聞き取り調査で、「御菱」(ごりょう)を五竜と誤記したという伝承の可能性も、真実味を帯びて聞こえます。
北安曇郡でなぜ武田? と疑問に思う人も多いかと思いますが、戦国時代に安曇野(あずみの)を領有した仁科盛政は、信濃府中を制圧した武田信玄に従い、弘治2年(1556年)、山県昌景率いる武田軍は飯森城(白馬村神城にあった戦国時代の城)を攻略、飯森盛春(いいもりもりはる)は越後に落ち延び、現在の白馬村が武田と上杉の勢力の境目となったのです。
つまりは、戦国時代に、現在の白馬村一帯(北安曇郡)は武田氏が領有していたことに。
武田菱は身近な存在だったのです。
五竜岳「武田菱」の雪形 | |
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