熊野神社

中山道屈指の難所だった旧碓氷峠の上信国境(上州と信州の国境=群馬・長野県境)に建つ神社。旧中山道から社殿へと登る石段の中央が国境で(石段に注目)、上州(群馬県)側が熊野神社、信州(長野県)側が熊野皇大神社となっています。江戸時代までは熊野権現でしたが、明治の神仏分離で2つの神社に分かれました。

旧碓氷峠の上信国境に建つ熊野権現

社伝では日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に碓氷坂で道に迷いましたが、1羽の八咫烏(やたがらす)が道案内を。
それは熊野神のご加護と、熊野権現を勧請したと伝えられる古社です。

戦国時代には国境を巡る争いもあり、武田信玄は社領を寄進しています。

五街道整備の際に、中山道が社前を通り、社殿の中央で国境を分けたのが現在の県境につながっています。
江戸時代には関東や信州に10万戸の氏子を持って繁栄しました。

便宜的に2つの社に分かれてはいますが、実は本宮の社殿も、御神体もひとつ。
春秋の例大祭では現在でも両県の神職が一緒に奉仕しているのです。

石段下両脇の狛犬は室町時代のもの。

1292(正応5)年奉納の鐘は群馬最古の鐘で、群馬県の重要文化財。

名物の「峠の力餅」が味わえる「碓氷山荘」は宮司さんの家。
碓氷山荘第2駐車場は皇女和宮や参勤交代の大名が休泊した赤門屋敷(熊野神社宮司曽根家の屋敷)の跡です。
安中市松井田町五料のある碓氷神社は里宮。

ちなみに、幕末の1855(安政2)年、安中藩主・板倉勝明(いたくらかつあきら)が藩士の鍛錬のために行なった安政遠足(あんせいとおあし)のゴールがこの熊野権現(現・熊野神社・熊野皇大神社)。
そして、神官がゴールした藩士をもてなしたのが、今に伝わる峠の名物「力餅」です。

室町時代奉納の狛犬

この階段の中央に県境が

「吾嬬者耶」(あづまはや)の地
『日本書紀』によれば、日本武尊が東征の帰路、八咫烏に導かれて碓氷峠の頂に立ち、東国を眺め、海の神の怒りを静めるために海に身を投じた愛妾の弟橘媛(おとたちばなひめ)を「吾嬬者耶」(あづまはや)と追慕したと記されています。
「吾嬬者耶」を現代語に訳せば、「ああ、我妻よ!」となります。
関東などを「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむとも。

熊野神社 DATA

名称 熊野神社/くまのじんじゃ
所在地 群馬県安中市松井田町峠1
関連HP 熊野神社公式ホームページ
ドライブで 上信越自動車道の碓氷軽井沢ICから約15.3km
駐車場 碓氷山荘第2駐車場(15台/無料(
問い合わせ TEL:0267-42-3490
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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