高崎城・東門

往時には本丸門など16もの門があったという高崎城ですが、現存するのは東門のみ。16の城門のうち、本丸門、刎橋門、東門は平屋門で、乗篭が通過できる潜り戸があったのは三之郭(三の丸)入口にあった東門だけ。城の玄関(正門)は三の丸追手門。つまり東門は通用門として使われていた門ということになります。

三の丸出桝形北にあった通用門を乾櫓の西側に移築復元

往時には追手門(現在の高松郵便局付近)から南240mにある出桝形(でますがた)の北側に配され、城内に出入りする武士や商人などを通行させていました。
出桝形は、土塁を凸状に築き、城を攻める敵軍を側面から攻撃できるようにした城割。

現在も三之郭(三の丸)に建つ高崎市役所の東に堀割が凸型になった場所があり、東門はその凸部のすぐ北に配されていました。
通用門とはいえ実戦的な防備構造を伴っていたのです。

建物は1843(天保14)年の火災で焼失後に再建されたもので、高崎市の文化財に指定されています。
明治維新後、名主宅に払い下げられ、下小鳥町にありましたが、昭和55年に乾櫓の西側に移築復元されています。

 

高崎城・東門
名称 高崎城・東門/たかさきじょう・ひがしもん
所在地 群馬県高崎市高松町
関連HP 高崎市公式ホームページ
電車・バスで JR高崎駅から徒歩10分
ドライブで 関越自動車道高崎ICから約6.7km
駐車場 高崎城址地下駐車場(186台/有料)
問い合わせ 高崎市観光課 TEL:027-321-1257
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

高崎城址

群馬県高崎市街の中心部・高松町にあり、土塁や堀、復元された乾櫓(いぬいやぐら)と東門などが、往時をしのばせているのが高崎城址。前身は室町時代に和田義信が築いた和田城(和田さんのルーツにも)ですが、廃城になり荒廃。現在の高崎城址は、井伊直政築

高崎城・追手門跡

高崎城は城の西を流れる烏川の河岸段丘を利用し、本丸を囲むように現・和田橋側に西郭(西の丸)、北に榎郭、東に二之郭(二の丸)を配していました。さらに二之郭(二の丸)をカバーするように周囲を三之郭(三の丸)で囲み、その東側に正門となる追手門(追

高崎城・乾櫓

高崎城・乾櫓は、もともとは平屋の土蔵のような建物でしたが第3代藩主・安藤重博(あんどうしげひろ/1657年〜1695年に藩主)が櫓に改築しています。明治維新後は、下小鳥町に移築され納屋として使用されていましたが、昭和52年に三の丸模擬石垣上

 

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