前橋東照宮

前橋東照宮

群馬県前橋市で東照大権現(徳川家康)を祀る神社が、前橋東照宮。結城秀康(ゆうきひでやす=徳川家康の次男)の四男・松平直基(まつだいらなおもと)が家康のルーツである松平姓を継承。引っ越し大名と呼ばれた松平直基に始まる越前松平家は、移封先で、必ず神君家康を祀っていますが、前橋東照宮もそのひとつ。

前橋藩主・松平家が祀った東照宮

松平直基に始まる越前松平家は、寛永10年(1633年)の越前大野を皮切りに、出羽山形、播州姫路、越後村上、豊後日田、奥州白河など13度にわたる転封を繰り返していますが、その都度、家康を祀る東照宮を城地に奉遷し尊崇していました。

寛延2年(1749年)、15万石で松平朝矩(まつだいらとものり)が播州姫路から前橋城に入城。
当時の前橋城は利根川の浸食による被害を受け、城を放棄して武州川越藩(現・埼玉県川越市)に避難していました。
現存する社殿は、幕末の安政2年(1855年)、避難先の川越で樹齢1000年余の欅の巨木を使って建築したもの。
幕末になって前橋城はようやく洪水の被害から復旧し、川越の東照宮を解体して前橋城に運んで再建しています。
再建されたのは明治維新を経た明治4年のこと。

東照宮の本殿には松平朝矩前任地、姫路城の天守に祀っていた刑部大神(長壁大神=第49代光仁天皇の息子・刑部親王と娘・富姫の2神)も祀られています。
菅原道真を祀る摂社・天満宮は、前橋藩(当時は厩橋藩)・初代藩主・酒井重忠(さかいしげただ)の創建。
三河から家康の重臣として仕え、本能寺の変の際にも家康救出に手柄を立てた酒井家は、徳川幕府が開かれた後に隆盛したため、天満宮は、俗に「酒井の開運天神」と称されていました。

ちなみに東照宮の建つ前橋公園はかつての前橋城三ノ丸外郭。
本丸は現在の県庁周辺にありました。
徳川将軍家が酒井家や越前松平家などを前橋に配したのは、関東平野の北側の守りを固めるため。
東照宮はそのシンボルでもあったのです。

前橋東照宮
名称 前橋東照宮/まえばしとうしょうぐう
所在地 群馬県前橋市大手町3-13-19
関連HP 前橋東照宮公式ホームページ
ドライブで 関越自動車道前橋ICから約4.3km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 前橋東照宮社務所 TEL:027-231-2031/FAX:027-231-2034
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
前橋城(厩橋城)

前橋城(厩橋城)

群馬県の県都、前橋市にある平城で、江戸時代には前橋藩の藩庁にもなった城が前橋城(厩橋城)。天文3年(1534年)の利根川氾濫後にすでにあった石倉城の三の丸を修復し、城としたのが始まりというが定かでありません。戦国時代には長尾景虎(上杉謙信)

 

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