倭文神社

倭文神社

群馬県伊勢崎市東上之宮町に建つ平安時代編纂の『延喜式神明帳』記載の古社(式内社)、倭文神社(しどりじんじゃ)。祭神の建葉槌命(武葉槌命・たけはづちのみこと)は、倭文部(しとりべ=大和王権が設定した織物の技術者集団)の遠祖で、繊維産業で栄えた伊勢崎らしい織物の神様。

織物の神様を祀る伊勢崎の古社

倭文神社

倭文神社は、社名や郷名から、大和王権時代、この地に配された機織や裁縫の技術を伝えた倭文部(しとりべ)の創祀した神社と推測されています。
倭文部は、大化の改新以前にあった職制。
倭文(しつ)は、麻、苧(からむし)などを染めた日本古来の織物で、大陸から伝来の綾とは異なります。

上野国の歴史を秘める倭文神社ですが、戦国時代に荒廃。
江戸時代に慈眼寺を別当(神社を管理する寺)として再興しています。
往時の社殿は幕末の火災で焼失し、現存する建物は明治13年の再建です。

利根川を隔てた対岸、群馬県佐波郡玉村町下之宮にはやはり『延喜式神明帳』記載の火雷神社(からいじんじゃ)が鎮座し、上之宮(倭文神社)と下之宮(火雷神社)という関係が地名(上之宮町)の由来。
ちなみに、中世の利根川変流まで倭文神社と火雷神社は地続きだったとか。

倭文神社は、伯耆国一宮の倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町)など、朝鮮半島との文化交流が推測できる地に多く、新羅系の帰化人(3世紀後半肩5世紀の新羅系渡来人)に関係する倭文部に由来し、古代に絹製品の製造をした地とも推測されています。

倭文神社
名称 倭文神社/しどりじんじゃ
所在地 群馬県伊勢崎市東上之宮町甲380
ドライブで 関越自動車道高崎玉村スマートICから約7km
駐車場 上之宮町区会議所(利用不可の場合あり)、倭文の郷公園駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
火雷神社

火雷神社

群馬県佐波郡玉村町下之宮にある平安時代編纂の『延喜式神明帳』記載の古社(式内社)、火雷神社(からいじんじゃ)。社伝によれば、創祀は崇神天皇あるいは景行天皇の御代というから神代に遡ります。上州に多い雷の神である火雷神(ほのいかづちのかみ)を祀

 

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