善導寺・榊原康政墓所

善導寺・榊原康政墓所

群馬県館林市楠町にある浄土宗の寺、善導寺。行基開山という伝承があるものの、天正18年(1590年)、館林城主になった徳川四天王のひとり、榊原康政が現在の館林駅前広場(竜の井)一帯に創建、榊原家の菩提寺としたもので、平成2年、館林駅前再整備で現寺地に移っています。境内には榊原康政墓所があります。

浄土宗、関東十八檀林のひとつ

元和元年(1615年)に徳川家康が定めた関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)のひとつ。
浄土宗の門跡を知恩院に、そして関東18ヶ所の僧侶を養成する学問所を関東十八檀林に定め、宗派の重要な事項は檀林の会議で決定することを義務付けたのです。

上野国(こうずけのくに)では、大光院(群馬県太田市)と善導寺が浄土宗の関東十八檀林に選ばれています。

徳川四天王のひとり、榊原康政は、天正18年(1590年)、徳川家康の関東移封で、利根川の要衝、館林に城を構え、関東総奉行として君臨。
慶長11年5月14日(1606年6月19日)、59歳で館林城で没しています。

善導寺・榊原康政墓所
名称 善導寺・榊原康政墓所/ぜんどうじ・さかきばらやすまさぼしょ
所在地 群馬県館林市楠町3692
関連HP 終南山 見松院 善導寺公式ホームページ
電車・バスで 東武伊勢崎線館林駅からタクシーで10分。東武日光線板倉東洋大前駅から約15分
ドライブで 東北自動車道館林ICから約18km
駐車場 あり
問い合わせ 善導寺 TEL:0276-72-1259/FAX:0276-75-5371
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
館林城

館林城

群馬県館林市にある、江戸時代に館林藩の藩庁となった城が館林城(たてばやしじょう)。中世城郭の築城時期、築城者については諸説あり定かでありませんが、近世的な城郭は、徳川四天王のひとり、榊原康政(さかきばらやすまさ)が城沼(じょうぬま)を濠とし

城沼

城沼

群馬県館林市にある周囲は8kmの細長い沼、城沼(じょうぬま)。東武伊勢崎線・佐野線・小泉線の館林駅から徒歩20分という市街地にあり、鶴生田川が広くなった部分が城沼。沼畔にはツツジの名所として知られる群馬県立つつじが岡公園もあります。沼名は、

徳川四天王

徳川四天王とは!?

四天王とは、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天という具合に仏法僧を守護している四神のこと。転じて徳川四天王は、仏法守護の四神のように、徳川家康を守り、徳川幕府を開くまでに尽力した酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政のことです。

 

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