群馬県安中市、アプト式のラック鉄道で碓氷峠の急勾配を乗り切った信越本線廃線(総延長4450m)には、26ヶ所のトンネル群が現存し、碓氷峠隧道群(うすいとうげずいどうぐん)と呼ばれ、経済産業省の近代化産業遺産にも認定。廃線跡の横川駅寄りは、アプトの道として整備されています。
国の重要文化財のレンガ造りトンネルが10基連続
もともとは、東京と関西を結ぶ官設の中山道幹線(中山道鉄道)として敷設されたもの。
現代的に言い換えれば、新時代を象徴するリニアのような存在で、その一部として高崎駅〜横川駅間が明治18年10月15日に開通しています。
ところが、横川駅〜軽井沢駅間が、中山道の難所でもある旧碓氷峠を越えるため、明治19年7月19日の閣令第24号で、幹線鉄道計画は中山道から東海道にルートが変更されることが決定したのです。
その後は、中部横断鉄道としての計画に変更され、技師・本間英一郎が直江津駅〜軽井沢駅間全線の工事の指揮し、明治21年12月1日に開通。
最後に残されたのが横川駅〜軽井沢駅間の難関ルートとなったのです。
ドイツのハルツ山鉄道に採用されていたアプト式が採用され、イギリス人の鉄道局建築師長C.A.W.パウネル(C.A.W.Pownall)と技師・本間英一郎が統括して、着工。
横川駅〜軽井沢駅間(11.5km)に隧道26、橋梁18を建設することで、困難な碓氷峠越えを実現したのです。
工事の資材は、すでに並走して開通していた碓氷馬車鉄道(横川〜軽井沢間、軌間500mm)を利用しています。
隧道や橋梁に使用されたレンガは、日本煉瓦製造会社(現・埼玉県深谷市上敷免)が明治24)年2月に1250万個を受注し、明治25年まで納入されていますが、埼玉県の川口、長野県の小諸、長野からも搬入されたと伝えられています。
信越本線横川駅に隣接する「碓氷峠鉄道文化むら」横を起点にめがね橋を経て熊野平駅跡までを歩く全長5.9kmの遊歩道がアプトの道。
途中の碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」まではトロッコ列車の走る線路横を歩くので、「峠の湯」までトロッコ列車を利用する手もあります。
「峠の湯」からは第一隧道(隧道=トンネル)、第二橋梁、第二隧道、第三隧道、第四隧道、第五隧道とレンガ造りのトンネルが連続。
第五隧道を抜けるとめがね橋(第三橋梁)に到着します。
途中の第一~第五の隧道と第二橋梁はいずれも国の重要文化財。
めがね橋~熊の平間にも第六~第十の隧道が連続し、やはり国の重要文化財です。
第一〜第十隧道と、第十七隧道は、明治26年の鉄道敷設時のレンガ造りのトンネルがそのまま現存し、レンガ造りの橋梁7基、変電所施設とともに旧碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財になっているほか、経済産業省の近代化産業遺産に認定。
碓氷峠隧道群
隧道名(トンネル名) | 竣工年 | 全長 | 備考 |
第一隧道 | 明治26年 | 187.1m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第二隧道 | 明治26年 | 112.8m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第三隧道 | 明治26年 | 77.5m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第四隧道 | 明治26年 | 100.3m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第五隧道 | 明治26年 | 243.6m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第六隧道 | 明治26年 | 546.2m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第七隧道 | 明治26年 | 75.4m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第八隧道 | 明治26年 | 91.5m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第九隧道 | 明治26年 | 120.3m | レンガ造り・国の重要文化財 |
第十隧道 | 明治26年 | 102.7m | レンガ造り・国の重要文化財 |
碓氷峠隧道群 | |
名称 | 碓氷峠隧道群/うすいとうげずいどうぐん |
所在地 | 群馬県安中市松井田町坂本 |
電車・バスで | JR横川駅から徒歩2分でアプトの道入口 |
ドライブで | 上信越自動車道松井田妙義ICから約4km |
駐車場 | 横川駅市営駐車場(20台/無料)、碓氷湖駐車場(30台/無料)、めがね橋駐車場(29台/無料)、熊ノ平駐車場(30台/無料) |
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