群馬県北群馬郡吉岡町にある東日本では珍しい八角墳が、三津屋古墳(みつやこふん)。利根川に注ぐ午王頭川の左岸に築造された古墳で、要塞のような外観がユニーク。7世紀後半(古墳時代終末期)の築造で、ヤマト王権との密接な関係性が推測できます。
古墳時代終末期、上毛野に築かれた八角墳
墳形は正八角形の八角墳ですが、古墳時代終末期に築かれた八角墳は、日本独特の古墳のスタイルで、奈良県桜井市の段ノ塚古墳(舒明天皇陵)、京都府京都市山科区の御廟野古墳(天智天皇陵)、奈良県明日香村の野口王墓古墳(天武・持統天皇合葬陵)など、おもに天皇陵に使われていることで有名。
群馬県内には1万3000基以上の古墳が確認され、2000基以上が現存する、東日本の古墳王国。
東日本最大の天神山古墳(太田市)など前方後円墳は注目を集めてきましたが、6世紀後半に現在の藤岡地域がヤマト王権との関係を築き、巨大な前方後円墳を築いています。
その後、仏教の普及などもあり、古墳は築かれなくなりますが、7世紀後半(古墳時代終末期)、ヤマト王権と密なる関係にあった上毛野(かみけぬ・かみけの)の首長が築いたのが八角形の三津屋古墳です。
八角形は、中国の道教の思想や宇宙観(宇宙全体を八角形と捉える)、あるいは法隆寺夢殿などの八角形の堂宇のように仏教思想を反映したものと推測されています。
関東周辺の古墳で八角墳なのは、山梨県笛吹市の経塚古墳(7世紀前半)、群馬県高崎市吉井町の一本杉古墳(多胡村113号墳/七世紀中葉)が知られていますが、正八角形で、天皇陵(八角墳)と同じ時期に築かれたのは三津屋古墳のみです。
天武天皇13年(684年)、上毛野朝臣、下毛野朝臣、佐味朝臣、池田朝臣、車持朝臣、大野朝臣の「東国六腹朝臣」が朝廷から朝臣姓をもらっていますが、7世紀後半、上毛野が律令制度に組み込まれていく中で築かれた古墳ということに。
三津屋古墳の西、車で数分の場所には、6世紀後半〜7世紀末に築かれた南下古墳群(現存6基、円墳)があるので、あわせて見学を。
三津屋古墳 | |
名称 | 三津屋古墳/みつやこふん |
所在地 | 群馬県北群馬郡吉岡町大久保三津屋2037-1 |
関連HP | 吉岡町公式ホームページ |
電車・バスで | JR群馬総社駅から徒歩30分 |
ドライブで | 関越自動車道駒寄スマートICから約2km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 吉岡町文化財センター TEL:0279-54-9443 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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