富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)

富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)

群馬県甘楽郡甘楽町小幡、世界文化遺産に登録の富岡製糸場の土台石を切り出した石切り場の跡が、富岡製糸場土台石採掘場所跡(とみおかせいしじょうどだいせきさいくつばしょあと)。その景観から石舞台とも称される場所で、甘楽町の重要文化財に指定。ここから合計4000本もの「御用石」が切り出され、土台として利用されています。

連石山トレイルコース途中にあるので気軽に見学が可能

連石山(れんせきざん)の東側に石切り場跡はあり、南北方向に上下2段で採掘されています。
階段状に石を切り出した跡が6~7段現存し、鑿(ノミ)の痕跡も残り、石材の切り出し工程がよくわかります。

富岡製糸場は明治3年閏10月17日(1870年12月9日)に富岡を建設地として決定、横須賀製鉄所のお雇い外国人だったエドモン・オーギュスト・バスチャンが明治3年12月26日(1871年2月15日)に設計図を完成させています。
明治4年1月22日(1871年3月12日)には、機械などの手配のため、いったんフランスに帰国していますが、並行して尾高惇忠が資材の確保を担当。
このときに、土台石採掘場に定められ、突貫で石材を切り出し、明治4年3月に着工、明治5年10月4日に操業を開始するという離れ業を演じています。

市街地から比高20m~30mの高台に位置する石切り場から切り出された御用石は、大八車(だいはちぐるま=人力荷車)で田篠村(現・富岡市田篠)の鏑川(かぶらがわ)岸まで運び、岸からは筏に積み、鏑川を上流へと遡り、富岡製糸場建設地南側の河岸段丘下の桐渕(現・桐渕橋下流側)まで1日を費やして運搬。
桐渕からは「コロ」を使って急斜面を引き上げて、建設地に搬入しています。

富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)のすぐ北には、連石山トレイルコース展望台、甘楽総合公園、東に織田氏七代の墓があり、駐車場も整備されているので、手軽に見学が可能。
駐車場から、連石山トレイルコースに入り、やわらぎの道を歩けば、連石山トレイルコース展望台(入口から350m)、そして30mほど離れた富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)と続きます。
さらに歩けば、六尺観音、巨大磨崖仏(昭和60年完成、顔の部分のみ)、三十三観音を経て、長巌寺へと下ります。

富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)
名称 富岡製糸場土台石採掘場所跡(石舞台)/とみおかせいしじょうどだいせきさいくつばしょあと(いしぶたい)
所在地 群馬県甘楽郡甘楽町小幡1929-1
関連HP 甘楽町公式ホームページ
ドライブで 上信越自動車道富岡ICから約5km
駐車場 連石山トレイルコース駐車場(20台/無料)を利用
問い合わせ 甘楽町教育課文化財保護係 TEL:0274-64-8324/FAX:0274-74-5813
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

天空の城ラピュタか!ダンジョンか!? 関東の石切り場跡7選

関東周辺には、江戸城などにも使われた伊豆石、古墳の石室にも活用された房総石、旧帝国ホテル本館に採用された大谷石、東京湾要塞の海堡に使われた鷹取山の石など数多くの採石場があり、その跡地は天空の城ラピュタを思わせる鋸山、ダンジョンの室岩洞と、冒

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ