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橋本さんのルーツを探せ!

橋本さんの由来は、「神聖なる橋のたもと」という意の地形姓で、橋本=橋元=橋下といずれも同じ意味の橋本さんのお仲間。全国に46万人ほど橋本さんはいて、人口に占める割合は0.36%ほど(25位の池田さんとほぼ同数)。川から離れた場所がルーツのはずはありませんが、全国にそのルーツは散らばっています。

名前の由来は「聖なる橋のたもと」の意

有名な皇女・和宮も実は橋本さん

和歌山県橋本市は、高野山に入って出家した応其上人(おうごしょうにん)が、天正15年(1587年)、山麓を流れる紀ノ川に橋を架けたことに由来する地名(高野往還の宿所で橋のたもとの町に由来)。

この橋本市のように、全国各地の橋本という地名は街道の宿場など交通の要衝であることが多いのも特徴。
橋は、万人にとって非常に大切なもので対岸と結ばれることで渡し船時代とは異なった新しい交流も生まれたのだろうと推測できます。
その意味でも「聖なる橋」ということに。

さてさて、有名な皇女・和宮(かずのみや)も橋本ファミリーのひとりといったら驚かれるでしょうか。
和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)は、典侍(ないしのすけ=後宮の次官となる女官)の橋本経子(はしもとつねこ=橋本実久の娘)を母とし、弘化3年(1846年)、仁孝天皇(にんこうてんのう)の第4皇子・孝明天皇(こうめいてんのう)の異母妹として生誕。

和宮が生まれた時はすでに仁孝天皇はこの世になく、和宮は従兄弟の橋本実梁(はしもとさねおみ)らに囲まれ、母の生家である橋本家で養育されています。
いま、京都御所と迎賓館に挟まれた静かな林の中に、「皇女和宮生誕の地 橋本家跡」があり、これが京都御所の東に位置する橋本家跡。
橋本家跡 (皇女和宮誕生の家)という駒札が設置され、すぐ南側には学習院跡も残されています。

数多い橋本さんの中でもっとも著名なのが、この、皇女・和宮に繋がる藤原北家西園寺流の橋本氏で、代々笛で朝廷に仕えた一族です。
鎌倉時代末期、西園寺公相(さいおんじきんすけ)の四男・橋本実俊(はしもとさねとし=娘は後醍醐天皇との間に世良親王をもうけていますが、親王は早世)を祖として創設され、孫の橋本実澄(はしもとさねずみ)の代から橋本の家名に。
皇女・和宮は明治天皇の叔母なので、一族は、皇族にも通じる橋本さんということになります。

ルーツは貝塚市橋本にも

和泉国日根郡橋本(大阪府貝塚市橋本)も橋本さんのルーツです。
橋本さんのルーツをたどるものとしては、地名に残された橋本交差点ぐらいですが、交差点の西300mほどの所にある丸山古墳は、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造とされる前方後円墳(国の史跡)。

古墳の南側に位置する貝塚市立南小学校の敷地内からは古墳時代中期5世紀の埋没古墳6基(地蔵堂古墳群1号墳~6号墳=円墳4基、方墳2基)が発見され、丸山古墳を中心とした古墳群の存在が判明、このエリアが古くから拓けた地であることがよくわかります。

さらに丸山古墳は天正13年(1585年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の紀州攻めの際に、秀吉自らがこの古墳に本陣を置き、橋本の積善寺城を攻めたという伝承も残されています。

南北朝時代に南朝方の楠木正成(くすのきまさしげ)率いる武士団に属し活躍した橋本正高は、この地の豪族。
この土地から生まれた橋本さん一族が南北朝の戦いではその名を刻んでいます。

JR阪和線の和泉橋本駅(いずみはしもとえき)はかつては橋本村の玄関駅だったわけで、大阪に住む橋本さんは要チェックの場所といえるでしょう。

橋本という地名は木流しも行なわれただろう近木川(ごぎがわ)の橋のたもとと、推測できる地名です。

京都、鳥取にも橋本さんのルーツが

京都にも橋本さんのルーツはあって、山城国綴喜(つづき)郡橋本(京都府八幡市橋本)を発祥とする橋本氏は清和源氏流。

因幡国邑美(おうみ)郡橋本(鳥取県鳥取市橋本)を発祥とする橋本氏は、橋本蔵人を祖として因幡・橋本城を築き、橋本正恒は山名家に仕え応仁の乱に参陣し戦功を挙げています。


橋本正恒の代に但馬の坂本城(養父市八鹿町坂本)をも築いていますが、羽柴秀吉の八木城攻略で坂本城も落城し、自刃。

鳥取市橋本、橋本公民館の南東には鳥取市の史跡になっている橋本38号墳(横穴式石室内に砂岩質の家形石棺を据えた円墳で橋本古墳群の1基)があり、一帯は山陰の橋本さんのルーツのひとつといえるでしょう。

なお、橋本城は山城で、荒廃していて、わざわざ訪れても、単なる尾根歩き(やぶこぎ)となり、意味がありません。

愛知県稲沢市も大切なルーツの一つ

尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市)を発祥とする橋本氏も橋本さんの大切なルーツ。

律令時代に、尾張国の国府があったのが尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市/稲沢市松下・国府宮または下津町と推測されています)。

この中島郡は、中島さんの重要なルーツでもあるのですが、愛知県稲沢市片原一色に橋本氏代々の居城、片原一色城跡があります。

現在の神明社境内一帯に築かれていたという片原一色城は、応永年間(1394年〜1427年)、橋本宣都寺が築城。
戦国時代、織田信長に仕えた橋本一把(はしもといっぱ)は、信長の鉄砲師範を務めています。
さらに、橋本一把の子・橋本道一(はしもとみちかず)は、豊臣秀吉に仕え、朝鮮の役では鉄砲頭として活躍しています。
8代にわたって橋本氏の居城となった片原一色城は、慶長20年(1615年)、一国一城令により廃城に。

城の遺構は何も残っていませんが、神明社が目印になります。

橋本さんのルーツは全国各地に

橋本城も、茨城県桜川市岩瀬の橋本城(桜川を見下ろす山城)、栃木県下野市橋本の橋本城(東に姿川が流れています)など、全国に点在しています。

また、京都・梅宮大社の宮司・橋本氏は橘諸兄(たちばなのもろえ=聖武天皇を補佐した奈良時代の政治家)の後裔といわれ、江戸時代後期の公卿・橋本順福(はしもとのぶよし)、明治時代の橋本以行(はしもともちつら)は海軍の軍人で伊58艦長など名士を多数輩出しています。

兵庫県神崎郡福崎町山崎の二之宮神社には、楠木正成の一族・橋本四郎左衛門尉忠純という人物の名が残っているので、訪れてみるのもいいでしょう。
湊川の合戦で敗れた楠木正成の一族・橋本忠純は、直谷(すぎだに)に祀られていた播磨二之宮大神を氏神として奉じたのだとか。

さらに、京街道の宿場の一つとして栄えた橋本宿(京都府八幡市橋本)を訪れ、橋本宿に本陣を置いた会津藩、新選組、見回組、遊撃隊などの幕府軍と官軍の激戦の跡を歩いてみるのもおすすめです。
橋本宿には橋本砲台跡も残り、昔の面影が色濃く残っているのですから。
京阪本線にも橋本駅があり、橋本宿の玄関口になっています。
すぐ西を宇治川、桂川が流れ(合流して淀川)、宿場内を大谷川が流れていますが、地名は神亀2年(725年)、行基が架けたと伝えられる山崎橋の東詰めに位置することに由来するのだとか。

宿場としては浜名湖にも橋本宿がありますが、やはり橋のたもとの宿場です。
こう見ると全国に橋本という地名は数多く、橋本さんは全国にまんべんなく散らばることに。

データからも橋本さんは福島の大姓10位、鹿児島と沖縄を除いてほぼ全国に分布し、それを裏付けています。

家紋は釘抜、三つ柏、巴、四つ目結(めゆい)、蛇の目、横木瓜。
西園寺流は右三つ巴、清和源氏は抱き沢瀉(おもだか)、十六菊、唐花(からばな)など。


取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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