龍野城

龍野城

兵庫県たつの市龍野町にある中世から近世の城跡が龍野城。明応8年(1499年)、播磨の国を支配していた赤松政則(あかまつまさのり)が一族の赤松村秀のために鶏籠山の頂きに築城した山城が始まり。藩政時代には山麓の平山城が脇坂10代の居城となり、龍野藩の藩庁となっていました。

龍野藩脇坂10代の居城

鶏籠山(けいろうさん)に築かれた山城は、天正5年(1577年)、織田信長の命による羽柴秀吉の播州攻略によって開城。
その後、蜂須賀正勝、福島正則、池田輝政などの名将が入城していますが、万治元年(1658年)、京極高和の丸亀移転の際に破却され、寛文12年(1672年)、信州飯田(現・長野県飯田市)から入封した脇坂安政(わきざかやすまさ)によって、龍野藩(脇坂藩)5万3000石にふさわしい城として山麓に平城が築かれています(山上の郭は放棄)。
現在の残るのは、この脇坂家時代の近世城郭です。

ただし泰平の時代の外様大名ということで、御殿式の築城となっていましたが、のちに出自(安政は堀田氏からの養嗣子で、堀田正盛の次男で、徳川家光に拝謁)により譜代大名に加わり、龍野藩(脇坂藩)は老中も輩出するなど、明治初年まで存続しています。

とくに8代・脇坂安董は28年にわたって寺社奉行を務め、老中まで出世。
西本願寺の騒動、但馬国出石藩の仙石騒動などに辣腕を振るい、「5万石でも脇坂様は花のお江戸で知恵頭」と謳われています。
醤油製造が隆盛したのも、脇坂安董治世下の天保年間(1830年〜1844年)です。
明治維新では新政府側に与し、戊辰戦争では越後に出兵。
廃藩置県直後には龍野県が誕生しています(後に姫路県、飾磨県を経て兵庫県に編入)。

現在の本丸御殿、多門櫓(たもんやぐら)、埋門(うづみもん)、隅櫓(すみやぐら)、土塀などは古図に基づき昭和54年に近世の城郭を復元したもの。
本丸御殿の庭園からは、眼下に城下町が眺望します。
城内には龍野市立歴史文化資料館もあるほか、城下町は「播磨の小京都」と呼ばれる風情ある町並みで、たつの市龍野伝統的建造物群保存地区に指定されています。

大手門は因念寺の山門、東門は浄栄寺の山門として明治の城郭破却時に移築され、現存しています。

龍野城
名称 龍野城・ たつのじょう
所在地 兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3
関連HP たつの市公式ホームページ
電車・バスで JR本竜野駅から徒歩20分
ドライブで 山陽自動車道龍野ICから約2km
駐車場 龍野観光駐車場(20台/無料)
問い合わせ 龍野歴史文化資料館 TEL:0791-63-0907
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
龍野藩家老門

龍野藩家老門

兵庫県たつの市龍野町上霞城(かみかじょう)にある龍野藩の家老屋敷の門と伝えられる門が、龍野城家老門。高さ4.9m、屋根幅5.4mの重厚な門で、文学館の「霞城館(かじょうかん)」東側に位置しています。宝暦2年(1752年)の城下町絵図に龍野藩

 

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