髙埼灯台(高崎台場・高崎砲台跡)

髙埼灯台(高崎台場・高崎砲台跡)

兵庫県洲本市、淡路島の紀淡海峡に突き出した由良港の沖に浮かぶ無人島が成ヶ島(なるがしま)。その形から「淡路橋立」とも呼ばれる成ヶ島。その南端に位置するのが髙埼灯台で、幕末の高崎台場、そして明治時代に由良要塞の一部だった高崎砲台跡。

灯台の建つ場所は、幕末の高崎台場

髙埼灯台の建つ高台は、幕末の安政元年(1854年)、江戸幕府の命により紀淡海峡の防衛のために阿波藩(徳島藩)が築造を開始し、文久元年(1861年)に完成したフランス式砲台の高崎台場の跡。
江戸時代には大砲64門を備え、大坂湾防備で、異国船の襲来に備えていたのです。

日英同盟締結の明治35年には由良要塞の一部として(日露戦争の直前、バルチック艦隊の来襲を視野に入れて)、近代的な高崎砲台が設置され、24cmカノン砲8門が設置されています(成ヶ島北端の成山にも成山砲台、今川口を隔てた対岸の生石山にも生石山砲台、沖の友ヶ島にも砲台群が築かれ、紀淡海峡を守備していました)。

髙埼灯台周辺に築かれた堤防の形状が星形になっているのは、五稜郭などと同じ西洋城郭の特徴。
現在でも、石塁の大部分が現存し、髙埼灯台へ登る階段は幕末に築かれた要塞時代にものをそのまま活用しています。

また、淡路島側との間にある海峡、今川口は、廻船の入港を目的に、寛政元年(1789年)と文政6年(1823年)に開削工事が行なわれた場所。
現在の由良港一帯は、それまで潟湖(ラグーン)だったのです。

髙埼灯台に到達するには由良港・成ヶ島渡船場から渡船を利用。
成ヶ島は北側の成山と南側の高崎に分かれ、その間は長大な砂州になっています。

渡船は成山に到着し、1時間ほど歩いて高崎に到達することになりますが、塩沼湿地(えんしょうしっち)から先には歩道はなく、堤防を歩くことになりますが、高波などが危険で、さらには自然保護の観点から、立ち入りを遠慮するように呼びかけられています。

成ヶ島に渡る場合は、由良支所南側駐車場、由良漁港などに車を入れ、成ヶ島渡船に乗船(運航日に注意)。

髙埼灯台(高崎台場・高崎砲台跡)
名称 髙埼灯台(高崎台場・高崎砲台跡)/たかさきとうだい(たかさきだいば・たかさきほうだいあと)
所在地 兵庫県洲本市由良町成ヶ島
電車・バスで 由良港・成ヶ島渡船場から渡船を利用
ドライブで 神戸淡路鳴門自動車道洲本ICから約14.6kmで由良支所
駐車場 由良支所南側駐車場、由良漁港などを利用
問い合わせ 洲本市役所商工観光課 TEL:0799-22-3321
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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