黒井城

黒井城

兵庫県丹波市春日町の城山(標高356.8m)の山上にある山城が、黒井城(くろいじょう)。山麓は標高100mほどなので、比高250mという難攻不落の山城で、山全体が要塞のように築かれています。
ハイキングの装備で入山しないといけない山城ですが、国の史跡に指定、続日本100名城にも選定されています。

「丹波の赤鬼」の異名をもつ赤井直正で知られる山城

黒井城

築城に関しては、建武年間(1334年〜1338年)、赤松貞範(あかまつさだのり)が築いたとする説もありますが、歴史的な裏付けが乏しく、定かではありません。

戦国時代には奥丹波の盟主・赤井(荻野)氏の居城で、天正3年(1575年)には明智光秀を総大将にした織田軍によって2ヶ月以上の攻城戦が展開しますが、落城することなく、明智軍は退却しています(第一次黒井城の戦いで、城主は「丹波の赤鬼」の異名をもつ赤井直正=荻野直正)。

天正5年(1577年)10月、明智光秀は細川藤孝、細川忠興の増援を得て、再度、丹波に侵入。
天正6年(1578年)には城主・赤井直正が病死し、弟の赤井幸家が籠城戦を展開しますが、1年余りの包囲網に耐え切れず、開城。

その後、重臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)が黒井城主となってこの地を統治し、娘の斎藤福(のちに徳川家光の乳母となる春日局)もこの城下で生まれています。

本能寺の変後、明智光秀が山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れると、山崎の戦いの功績で堀尾吉晴(ほりおよしはる)の居城となり、小牧・長久手の戦い後に廃城になっています。

南北に150mの山頂を削平し、北から本丸(48m×22m)、二の丸(40m×19m)、三の丸(28m×23m)を段階状に配置、その下に東曲輪(25m×15m)と西曲輪(10m×30m)、帯曲輪を置いて防備を固めています。

現存する石垣は野面積み(のづらづみ)、隅は算木積み(さんぎづみ=直方体の石材の長辺と短辺を交互に組み合わせて積む方法)で、斎藤利三以降に築かれた天正年間(1573年〜1592年)の構築だと推測できます。
平瓦、軒丸瓦(のきまるがわら=屋根の縁端を飾るための丸瓦)、雁振瓦(がんぶりがわら=棟の頂部を覆う瓦)などが出土することから、瓦葺きの建物が多かったことも判明しています。

戦国時代(16世紀後半)の城郭遺構が、その後改変の手が加わることなく良好に残される貴重な例であることから、続日本100名城にも選定されているのです。

黒井駅から登城口まで徒歩15分。
黒井城登山口駐車場(登城口)から登城口から主郭部までは20分〜50分必要です。
登城口駐車場が満車の場合は、登城口まで歩いて15分の春日庁舎駐車場を利用。
急な坂道もあるため、滑りにくい靴や手袋が必需品。
熊の出没情報もあるので、グループでの行動をおすすめします(令和3年6月23日には登城者が襲われる事件も発生)。

9月下旬〜12月上旬の放射冷却の早朝には、雲海も期待でき、それを目当てに登城する人も。

黒井城
黒井城
名称 黒井城/くろいじょう
所在地 兵庫県丹波市春日町黒井
関連HP 丹波市公式ホームページ
電車・バスで JR黒井駅から徒歩15分で登城口
ドライブで 舞鶴若狭自動車道春日ICから約3km
駐車場 登城口駐車場(5台/無料)、満車の場合は春日庁舎駐車場を利用可能
問い合わせ 丹波市社会教育・文化財課 TEL:0795-70-0819/FAX:0795-70-0814
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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