広島県竹原市、竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)のメインストリートである本町通沿いに建つのが頼惟清旧宅(らいただすがきゅうたく)。頼山陽(らいさんよう)の祖父、頼惟清が紺屋(こうや=染め物屋)を営んでいた家で、宝永4年(1775年)頃の建築の旧宅が現存。
頼一門を輩出した家
頼山陽の父、儒学者・頼春水(らいしゅんすい)をはじめ、儒医・頼春風(らいしゅんぷう=頼山陽の叔父)、儒学者・頼杏坪(らいきょうへい)の三頼を輩出した頼一門の発祥の地。
賴家の祖先は小早川氏に仕え、三原の頼兼村(よりかねむら)に住んでいたと伝えられていますが、賴惟清の曾祖父の時代に竹原に移住して海運業を営み、祖父の頃に紺屋を始めたと伝えられています。
頼家が儒学者となったのは、竹原塩田が大きな富を生み、竹原の上層町人の文化活動が盛んだったことが背景にあります。
頼春水も江戸の昌平坂学問所で講義をもつまでに出世しますが、竹原の文化的な水準が大きく寄与したと推測できます。
本町通に面した頼惟清旧宅の建物は、入母屋塗込め造り、本瓦葺きの母屋と切り妻造り本瓦葺きの離れ座敷からなっています。
大戸から入ると、間口1間半の大きな土間が紺屋であったことを物語っており、右側の8畳間は、紺屋の店舗部分と推測されます。
江戸中期の竹原の町屋の様子をよく残し、広島県の史跡に指定。
ちなみに、頼山陽自身は、父・頼春水が大坂に出て安永2年(1773年)、私塾・青山社を開いているため、安永9年(1781年)、大坂生まれ。
天明元年(1781年)、頼春水が広島藩の学問所創設にあたり広島に呼ばれたため、広島城下の袋町(現・広島市中区袋町)で育っています。
頼惟清旧宅 | |
名称 | 頼惟清旧宅/らいただすがきゅうたく |
所在地 | 広島県竹原市本町3-12-21 |
関連HP | 竹原市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR竹原駅から徒歩15分 |
ドライブで | 山陽自動車道河内ICから約13km |
駐車場 | 新町市営駐車場(47台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 竹原市観光協会 TEL:0846-22-4331 |
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