寄倉岩陰遺跡

寄倉岩陰遺跡

広島県庄原市東城町、雄橋、白雲洞などのの上帝釈峡(かみたいしゃくきょう)地区への探勝入口にある岩陰・洞窟遺跡が寄倉岩陰遺跡(よせくらいわかげいせき)。帝釈峡の石灰岩地帯に50ヶ所以上ある石灰岩洞窟を利用した岩陰・洞窟遺跡のひとつで、唯一、国の史跡に指定される貴重な遺跡です。

帝釈峡の石灰岩地帯にある岩陰・洞窟遺跡

カルスト地帯(石灰岩台地=石炭紀~ペルム紀、3億5000年前〜2億5000年前に形成された帝釈石灰岩地帯)にある鍾乳洞や岩陰を利用した遺跡群が帝釈峡遺跡群。

寄倉岩陰遺跡は、帝釈川の左岸(石灰岩洞窟の入口は川床から15mの高さ)にある全長30m、奥行15mの帝釈峡遺跡群の中で最大の岩陰遺跡。

縄文時代から鎌倉時代の遺跡で、とくに縄文時代(紀元前約1万年前~紀元前300年頃)の遺物が多数出土しています。
出土した土器は東日本系や九州系もあり、出土した石鏃(せきぞく=石の矢じり)は香川県産サヌカイト、黒曜石は隠岐島産などで古代の広域に渡る交流をうかがい知ることができます。
縄文時代後期末から晩期にかけての地層では50体もの人骨も出土。

洞の河床からの高さは、帝釈川上流800m付近にある白雲洞(川床から13m)の河岸段丘面(河仁吾面)の高さとほぼ同じであることから、同じ時代に形成された鍾乳洞であることがわかります。

遺跡のビジターセンターとして帝釈峡博物展示施設「時悠館」もあるので寄り道を。搭乗待ちの
周辺の代表的な遺跡は帝釈川支流の馬渡川右岸の帝釈峡馬渡遺跡(旧石器時代末期〜縄文時代前期/広島県の史跡)、帝釈名越岩陰遺跡(縄文時代/広島県の史跡、現地への立ち入りは困難)などがあります。

寄倉岩陰遺跡
名称 寄倉岩陰遺跡/よせくらいわかげいせき
所在地 広島県庄原市東城町帝釈未渡
関連HP 帝釈峡観光協会公式ホームページ
ドライブで 中国自動車道東城ICから約12km
駐車場 440台/有料(自然環境保全協力金として)
問い合わせ 帝釈峡観光協会 TEL:08477-6-0161
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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