大久野島・中部砲台跡

大久野島・中部砲台跡

広島県竹原市、芸予諸島のひとつ、大久野島には、明治時代、芸予要塞の北部砲台、中部砲台、南部砲台が築かれ、後に毒ガス開発の島となり、結果として自然が守られたことから、戦争遺跡として明治時代の砲台群が残されています。大久野島山頂展望台近くの高台にあるのが中部砲台跡です。

山上に配された28cm榴弾砲6門が海峡を睨む!

芸予要塞は、日清戦争後、広島と呉という軍事拠点を守備する瀬戸内海防備の重要性から、大久野島と愛媛県側の小島に築かれた大砲群。
大久野島には北部、中部、南部の3ヶ所、そして対岸の忠海町・冠崎(かぶらざき)にも砲台が築かれました。

大久野島の尾根線、大久野島山頂展望台と日本一高い送電鉄塔(中国電力大三島支線No.11)を結ぶ途中にある中部砲台は、明治31年10月着工、明治34年3月竣工。

28cm榴弾砲(二十八糎砲=日露戦争の旅順攻囲戦では攻城砲として投入され活躍)が2門が3ヶ所に配されているという、重要な砲台でした。

大日本帝国陸軍・大阪砲兵工廠で製造された28cm榴弾砲は、高性能のため、日露戦争が勃発すると、ロシア艦隊(バルチック艦隊)の迎撃のため、さらに重要拠点となった鎮海湾や対馬などへ移設されています(さらに2門は旅順へ送られ、旅順攻略戦や旅順艦隊攻撃に使用)。

砲台の脇にはレンガ造りの兵舎(7連の掩蔽部)の遺構も現存(アーチ部分は当時貴重だったコンクリート)。
毒ガス製造時代は製造された毒ガスがドラム缶に入れられ保管されていた場所です。

もともとは、豊予海峡に砲台群が築かれる構想でしたが、日清・日露戦争時の加農砲(カノン砲)の射程距離から豊予海峡では砲弾の届かない海峡部が生じることから、芸予要塞が構築されたもの。
その後、射程距離が伸び、大正13年〜大正15年に豊予要塞が築かれたことで、海峡守備の役割を終え大正13年12月廃止されています。

中部砲台跡から尾根沿いに北部砲台跡に下る山道は、一部分かりづらい場所もあるので歩行の際には注意が必要。

大久野島・中部砲台跡
名称 大久野島・中部砲台跡/おおくのしま・ちゅうぶほうだいあと
所在地 広島県竹原市忠海町大久野島
関連HP 竹原市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 大久野島第一桟橋から徒歩20分、大久野島第二桟橋から徒歩20分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大久野島・北部砲台跡

大久野島・北部砲台跡

広島県竹原市、芸予諸島のひとつ、大久野島には、明治時代、芸予要塞の北部砲台、中部砲台、南部砲台が築かれ、後に毒ガス開発の島となり、結果として自然が守られたことから、戦争遺跡として明治時代の砲台群が残されています。島の北部にある砲台跡が、北部

大久野島・第一桟橋

大久野島・第一桟橋

広島県竹原市忠海町、瀬戸内海に浮かぶ、かつては戦争遺跡、今では「うさぎの島」として知られる大久野島。島の玄関港は、第一桟橋、第二桟橋の2ヶ所あり、三原港〜須波港〜大久野島を結ぶ弓場汽船(土生商船グループ)の高速船が着岸するのが、第一桟橋です

大久野島・第二桟橋

大久野島・第二桟橋

広島県竹原市忠海町、瀬戸内海に浮かぶ、かつては戦争遺跡、今では「うさぎの島」として知られる大久野島。島の玄関港は、東岸・発電所跡(戦争遺跡)近くの第二桟橋、南岸の第一桟橋の2ヶ所あり、大三島フェリーと早朝と夕方の数便を除くほとんどの休暇村客

大久野島山頂展望台(ひょっこり展望台)

広島県竹原市、竹原沖、大三島との間の瀬戸内海に浮かぶのが、大久野島。標高90mほどの山頂部に位置するのが、大久野島山頂展望台。展望台からは瀬戸内の多島美を一望にできます。「ひょっこり展望台」と通称され、ウッドデッキが整備されています。港や休

日本一高い送電鉄塔(中国電力大三島支線No.11)

日本一高い送電鉄塔(中国電力大三島支線No.11)

広島県竹原市、竹原沖に浮かぶ大久野島は、戦前は芸予要塞、戦時中は毒ガス開発、そして近年では「うさぎの島」として知られています。島の尾根筋を南北に縦断して送電線が通っていますが、北部の山上にあるのが、日本一高い送電鉄塔(中国電力大三島支線No

大久野島毒ガス資料館

大久野島毒ガス資料館

広島県竹原市、大久野島の第一桟橋近くにあるのが、大久野島毒ガス資料館。戦前、戦時中、大久野島では帝国陸軍の化学兵器(毒ガス)開発が行なわれたことから、地図にも記載されず、「地図から消された島」といわれていました。そんな戦前、戦時中の歴史を

大久野島・南部砲台跡

大久野島・南部砲台跡

広島県竹原市、芸予諸島のひとつ、大久野島には、明治時代、芸予要塞の北部砲台、中部砲台、南部砲台が築かれ、後に毒ガス開発の島となり、結果として自然が守られたことから、戦争遺跡として明治時代の砲台群が残されています。島の玄関口、第二桟橋近くの高

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ