函館山の西端、函館港を見下ろすひっそりとした高台にある箱館(函館)の開口の歴史を伝える墓地。墓地に葬られているのは、幕末の開港とともに来日し、日本で没した外国人たちで、1854(嘉永7)年、ペリーが箱館(現在の函館)に来航した時に病死した2名のヴァンダリア号水兵を埋葬したことが、起こりとなっています。
ペリー来航以来の歴史を刻んだ墓地
1854(嘉永7)年、箱館(函館)は日米和親条約(神奈川条約)で下田(現・静岡県下田市)とともに開港しますが、直後にマシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)率いる艦隊5隻は開港される箱館港を下検分するため、下田から箱館に向かいます。
5月17日(旧暦4月21日)の入港時にヴァンダリア号乗組員ジェームズ・ウルフ、ジー・ダブリュー・レミックが死亡し、津軽海峡を見下ろす山背泊に埋葬地を選び埋葬されました。
地元の石屋が外国人の名前に慣れないため両名の墓碑の刻字を間違うトラブルも発生。
6月3日(旧暦5月8日)に箱館を離れるまでの約2週間の滞在の間に、箱館湾の海図を作成したほか、銀板写真術(ダゲレオタイプ)の初公開、西洋音楽の吹奏などを行ない、箱館にいち早く西欧文化、開港の風を吹かせています。
ペリー来航が契機となって、蝦夷地を統治する箱館奉行所の移転先として、艦砲射撃の届かない少し内陸部に五稜郭が築造されています。
明治3年、在函5ヵ国の領事からの要望で正式に開拓使により外国人墓地として定められたのが外国人墓地。
規模は小さいのですが、ペリー艦隊の水兵も眠るプロテスタント墓地、カトリック墓地、ロシア人墓地、中国人墓地(函館中華山荘)など、宗教や国ごとにそれぞれ異なった様式の墓石が置かれ、国際色も豊か。
中国人墓地のレンガ塀は大正8年の改修の際に築かれたもの。
当時の箱館〜江戸間の太平洋航路(東廻り航路)は、日本海を回る北前船(西廻り航路)より危険が多かったため、弁財船で最速でも20日前後を要したましたから、その速力にも松前藩も大いに驚いているのです。
函館外人墓地 | |
名称 | 函館外人墓地/はこだてがいじんぼち |
所在地 | 北海道函館市船見町25 |
関連HP | 函館市公式観光情報サイト |
電車・バスで | JR函館駅前の棒二森屋前から市営バス高竜寺前行きで15分、終点下車、徒歩5分 |
ドライブで | 函館空港から約12km |
駐車場 | 3台/無料 |
問い合わせ | 函館国際観光コンベンション協会 TEL:0138-27-3535 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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