福井県勝山市の平泉寺白山神社は養老元年(717年)、白山を開いた泰澄(たいちょう)が白山登山の際に一林泉を発見し、この地が神明の地であることを悟り、社を建立したのが始まりという古社で、白山の越前側登山口。古くは「平清水」や「白山社」などと称しましたが平安末期に比叡山延暦寺の末寺となり霊応山平泉寺と称するようになったもの。
菩提林石畳道(中宮平泉寺参道)は、「日本の道百選」に選定
霊峰白山への越前川からの参詣道、越前禅定道の入口に建つのが白山中宮平泉寺。
白山開山の泰澄(たいちょう)が、白山登頂に挑み始めたのも、この越前口から。
境内に残る御手洗池で、泰澄はお告げを聞き、寺を創建。
その池の名をとって平泉寺と名付けたのです。
越前禅定道は、平泉寺を起点に、三頭山、稚児堂、法恩寺山頂を踏み、伏拝から和佐盛、小原峠、河上社、市ノ瀬、剃刀岩屋、弥陀ヶ原、室堂を経て白山山頂に至る30kmというロングトレイルでした(現在通行できるのは平泉寺〜白山伏拝、市ノ瀬〜白山山頂のみ)。
その入口に位置した平泉寺は、全盛時の室町時代後半には南谷3600坊、北谷2400坊、48社、36堂、6000坊の院坊を備え、僧兵8000人を抱える巨大な勢力を有していました(発掘調査が行なわれていますが、全体200haのうち、まだ1haほどです)。
越前では朝倉氏と肩を並べる権勢を有しましたが、天正2年(1574年)の一向一揆の焼き討ちで寺院の伽藍は灰燼に。
その後、豊臣秀吉の時代に再興され、江戸時代には白山頂上本社の祭祀権をも有していました。
明治維新の神仏分離令で寺号を棄て神社になっています。
白山国立公園の豊な自然のなかにあり、じゅうたんを敷き詰めたような苔の見事さは、京都の苔寺にも勝り、「日本一」ともいわれています。
樹齢およそ1000年の老杉が立ち並ぶ菩提林石畳道(中宮平泉寺参道)は「日本の道百選」の一つ。
美しい参道を木曽義仲や、奥州へと逃れる源義経主従も、歩いたと伝えられています。
境内北側には旧玄成院庭園がありますが、旧玄成院は、別当・平泉宮司邸。
庭園は、室町時代の回遊式枯山水庭園で国の名勝。
境内は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡となっています。
福井県坂井市三国町にある東尋坊(とうじんぼう)は、平安時代の末期、荒くれ者で周囲を困らせていた平泉寺の僧・東尋坊が、仲間の僧侶たちによって断崖から突き落とされたことに由来する名前。
登山道は禅定道と呼ばれ、登山口となる場所にはそれぞれ寺社が建ち、登山道や山頂を管理していました。
加賀馬場には白山寺(現・白山比咩神社)、美濃馬場の白山中宮長滝寺(現・長滝白山神社、長瀧寺)、そして越前馬場が平泉寺(平泉寺白山神社)です。
平泉寺白山神社 | |
名称 | 平泉寺白山神社/へいせんじはくさんじんじゃ |
所在地 | 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63 |
関連HP | 白山平泉寺公式ホームページ |
電車・バスで | えちぜん鉄道勝山永平寺線勝山駅から京福バス越前大野行きで15分、いのせ公民館下車、徒歩10分 |
ドライブで | 北陸自動車道福井北ICから約27km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 平泉寺白山神社 TEL:0779-88-1591 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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