茨城県北茨城市大津町、五浦海岸(いづらかいがん)のビューポイントに建つ六角堂(茨城大学五浦美術文化研究所敷地内)。六角堂近くに立つのがウォーナー博士胸像(ラングドン・ウォーナー像)。アメリカの東洋美術史研究家で岡倉天心を「センセイ」と呼び慕っていたラングドン・ウォーナー博士の像です。
岡倉天心を「センセイ」と呼んだウォーナー博士の像
ウォーナー博士(Langdon Warner)は、フォッグ美術館東洋部長としてしばしば、日本を訪れ、古美術研究や作品収集に尽力。
太平洋戦争中、日本の重要文化財を網羅した「ウォーナー・リスト」を提出し、リストが奈良、京都などの文化財を後世に伝える重要性を説き、古都を戦火から救っているのです。
その功績を讃えるため、日立製作所から胸像建設の動きが起こり、浄財も集まって昭和45年にウォーナー博士功績顕彰会が建立。
像は彫刻家・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の制作。
覆堂は岡倉天心がこだわった日本文化の象徴として法隆寺夢殿を模したもの。
長らく、文化財を戦火から救った「ウォーナー・リスト」といわれていましたが、平成6年にアメリカの機密文書が公開され、米国陸軍の航空部隊は京都を原爆投下の最有力都市のひとつとして挙げられていたことも判明。
「ウォーナー・リスト」は実在するものの、アメリカ軍の方針を変更させるまでの影響力がなかった(実際にリストに掲載の仙台城、名古屋城、岡山城、広島城、首里城、浅草寺、寛永寺などは焼失、京都御所も空襲を受けている)、京都の原爆投下が避けられたのは陸軍長官ヘンリー・スティムソン(戦前、京都を訪れ、日本文化を愛していたスティムソンの配慮)によるもの、戦後GHQの占領政策として、日本人に親米感情をもたせるための「創作」という説もあり、現在では「ウォーナー・リスト」の効果は、疑問視されています。
そんな歴史の皮肉もあってか、ウォーナー博士胸像自体があまりPRされることはありませんが、日本の文化をアメリカに伝えたという事実は今も色褪せずに残されています。
ウォーナー博士胸像 | |
名称 | ウォーナー博士胸像/うぉーなーはかせきょうぞう |
所在地 | 茨城県北茨城市大津町五浦 |
関連HP | 茨城大学五浦美術文化研究所公式ホームページ |
電車・バスで | JR常磐線大津港駅からタクシーで5分。市内循環バスで15分(平日のみ運行) |
ドライブで | 常磐自動車道北茨城IC、または、いわき勿来ICから約10km |
駐車場 | 市営駐車場(30台/無料) |
問い合わせ | 北茨城市観光協会 TEL:0293-43-1111 |
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