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石川さんのルーツを探せ!

県名となっている名前としては大姓14位の山口さんがいますが、名前が県名になっているのは
石川県くらいです。そんな石川さんは大姓27位、全国に43万人の同姓さんが暮らしています(国民の0.34%)。「石の川」という地形姓ですが、実は石川さんは、日本最古の氏(うじ)のひとつでもあるのです。

石川さんがつくった石川県

白山比咩神社

石川さんは古くは奈良時代から、石川臣(いしかわおみ)、石川朝臣(いしかわあそみ)などという氏姓制度(しせいせいど)で知られていた古代の大族。
ヤマト王権では、大王の下で有力豪族たちが氏(うじ)を有し、その氏の位階、性格を示す称号が姓(かばね)で、名前が王権への貢献度を表してもいたのです。

蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子(そがのうまこ)の孫だった蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)は、大化の改新で、最高権力者だった蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺された後、宗家の蘇我氏に代わって蘇我氏一族の本流となり右大臣を務めています(蘇我蝦夷から蘇我入鹿への大臣の世襲を良く思わず、蘇我入鹿の誅殺には賛同しています)。

蘇我倉山田石川麻呂は、河内国石川郡(現在の大阪府南河内郡全域と富田林市の一部)を本拠として石川姓を称していましたが、大化5年(649年)、異母弟の蘇我日向(そがのひむか)に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると讒言、軍を率いて石川麻呂を追討、石川麻呂は山田寺で自害しています。

その後、石川麻呂の無実が明らかとなり、一族は加賀に移って栄え、その勢力地域を石川郡としています。
現在の金沢市の中心部、白山市の大部分、野々市市の全域がこの石川郡の郡域。
金沢城に石川門があるのも石川郡の郡名に由来しているのです。

この石川郡は、弘仁14年(823年)、加賀国設置以来の歴史ある郡で、姓氏(せいし)が地名となった好例。
明治5年2月2日には金沢県庁を石川郡に置いたことから改称して「石川県」と県名になったため、石川さんが石川県という県名を生んだということに。

平安時代に編纂の『延喜式神名帳』では、加賀国石川郡10座中の筆頭には、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ=全国の白山神社の総本社/石川県白山市三宮町)が載せられているので、石川さんなら一度は参拝してみたい社ということに。

蘇我倉山田石川麻呂墓は大阪府南河内郡に

仏陀寺古墳

岐阜県各務原市蘇原宮塚町2-13に、蘇我倉山田石川麻呂墓の墓と伝えられる、伝・蘇我倉山田石川麻呂墓があります。

その墓とは別に、大阪府南河内郡太子町(たいしちょう)の仏陀寺古墳(ぶっだじこふん/大阪府の史跡、仏陀寺境内)も伝承では蘇我倉山田石川麻呂(649年死去)の墓。
古墳時代終末期の7世紀中葉頃と推測され、年代的に適合します。

太子町は古代の河内国石川郡にあたるので、石川さんなら、ルーツの中のルーツ、仏陀寺境内にある蘇我倉山田石川麻呂墓と推測される古墳を見学してみましょう。

石川さんのルーツは愛知県(三河)にも

同じ河内国石川郡を発祥とする石川氏に、清和源氏義家流の河内源氏がいます。
源義家(みなもとのよしいえ=「八幡太郎」)の曾孫(ひまご)・源義兼(みなもとのよしかね=河内石川源氏の棟梁で頼朝から「河内随一の源氏」と評される)が地名を冠して石川氏を名乗ったことから始まり、後、石川政康(いしかわまさやす)のとき蓮如上人に下野国(現在の栃木県)で会い、その誘いを受けて三河へ移り小川城(安城市小川町志茂)を築いています。

石川政康の四男、石川康頼(僧・明了)は小川城の隣に石川山蓮泉寺(現安城市小川町志茂339)を建立。
後に徳川家に仕え、徳川家康の筆頭家老になった石川数正(いしかわかずまさ)がいます。

「家康の懐刀」として知られた石川数正は、家康が松平竹千代(幼名)を名乗っていた今川義元の人質時代から家康の近侍(きんじ)として仕えた武将。

永禄4年(1561年)、徳川家康が織田信長と石ヶ瀬で戦ったときには先鋒を務めて活躍し、元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正3年(1575年)の長篠の戦いなどで数々の武功を挙げています。

さらに、天正7年(1579年)に織田信康が切腹すると、岡崎城代となりますが、羽柴秀吉との小牧・長久手の戦い後の天正13年(1585年)11月、何故か家康のもとから出奔し、羽柴秀吉に付くことに(出奔の理由は諸説あって定かでありません)。

やがて、家康が関東に移ると、秀吉から信濃松本藩初代藩主として10万石に加増移封されています。
松本城の辰巳附櫓と月見櫓を除く天守や、太鼓門・黒門など松本城内の代表的建築物は、このとき石川数正によって造られもの(松本城を近代城郭として整備)。

愛知県安城市小川町志茂の蓮泉寺の北側一帯に、石川政康が築いたとされる小川志茂城跡が現存。
石川政康の四男・石川康頼が開いた蓮泉寺の屋根瓦には、今も石川氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)がしっかりと残されています。
愛知県周辺に住む石川さんはあわせて家紋のチェックを、ぜひ。

大阪府河南町にも石川さんのルーツが

河内源氏の本拠地となった河内国に、大ヶ塚城跡(だいがづかじょうせき/大阪府南河内郡河南町一須賀)と壱須何神社(いちすかじんじゃ/一須賀神社)が残されています。

神社境内に建つ由緒には、「蘇我の本支族がその祖廟として、宗祖石川宿禰を祀ったものと思われる」と記されているので、ここも石川さんのルーツといえるでしょう。

壱須何神社(一須賀神社)は平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される式内社。
壱須何神社の近くには一須賀古墳群がありますが、渡来系の技術者集団の墳墓と推測されています。

一帯は石川朝臣の本拠地で神社ももともとは古墳上にあったとも。
住所は河南町一須賀ですが、かつては石川郡石川村と称したので、やはり石川さんのルーツを裏付けています。

東北出身の石川さんなら石都々古和気神社へ

石川郡石川町の式内社、石都々古和気神社

東北出身の石川さんなら必踏の地が福島県に。

石川一族の大族のひとつ、陸奥国白河郡石川庄(福島県石川郡石川町)の三芦城(石川城)に拠った陸奥石川(むついしかわ)氏を忘れてはいけません。

はじめ摂津国に居住していた源頼光(みなもとのよりみつ)の弟・源頼親(みなもとのよりちか)の孫・石川有光(源有光/父は源頼遠)が当地に三芦城を築き、石川を名乗りました。
出身地摂津国に有する石川荘にちなんで石川氏を名乗ったとも、石川国造の治める石川国だったことから石川を選んだともいわれていますが、どちらにしてもあえて石川を名乗っています。

三芦城は石川氏代々の居城となり、仙台藩の重臣となった24代・石川昭光(いしかわあきみつ)まで続いていますが、天正18年(1590年)に廃城に。
城跡には陸奥の国一之宮・石川郡総鎮守・石都々古和気(いわつつこわけ)神社が鎮座しているので、ぜひ参拝を。

京都三条河原で煎り殺されたのも石川さん

このほか、武蔵国久良岐郡石川村(横浜市青葉区元石川町・横浜市中区石川町)を発祥とする横山党、常陸国茨城郡石川(水戸市石川)を発祥とする常陸大掾流や、伊賀、伊予、肥前にも石川氏は起こっています。

茨城県水戸市石川は、偕楽園の西側に位置し、国道50号には石川町交差点もあるので茨城県の石川さんなら一度は訪れてみたい地といえるかも。

石川さんといえば誰もが思い浮かべるのが、釜ゆでになった大泥棒・石川五右衛門。
実在を疑問視するむきもありますが、史書や宣教師の記録(油で煮られたのは「Ixicava goyemon」)などにもその名が残されています。
残念ながらその出自は定かでありません。

文学者にも石川姓は多く、石川啄木(本名・石川一/いしかわはじめ)、そして芥川賞受賞者第1号の石川達三。

石川啄木は、岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸)出身。
石川達三は秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)の生まれといずれも東北出身。


歌手の石川さゆり(本名・石川絹代)は、熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身。
石川ひとみ(本名)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)の生まれ。
プロゴルファーの石川遼は、埼玉県北葛飾郡松伏町出身です。

石川さんは栃木県で大姓8位など、関東を中心に東日本に多いのが特徴。

代表家紋は、三河石川氏が笹竜胆、三つ笹、蛇の目、陸奥石川氏が向い鶴、加賀石川氏は石川竜胆。家紋から石川さんの祖先をたどるのもひとつの方法です。
ほかにも剣花菱など。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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