岩手県西磐井郡平泉町、平泉の空間設計の基準となった信仰の山、金鶏山(きんけいさん)の登山口に立つ2基の五輪塔が、源義経妻子の墓。金鶏山の麓には、藤原3代の位牌を祀る千手堂がありますが、その傍らの五輪塔が、源義経の正室・郷御前(さとごぜん)と、その子の墓と伝承されています。
源義経の正室・郷御前と4歳の女子の墓と伝承
郷御前は、河越館(現・埼玉県川越市にあった城館)の城主で、河越荘の荘官・河越重頼(かわごえしげより)の娘。
母は源頼朝の乳母・比企尼(ひきのあま)の次女(河越尼)。
源頼朝の命により、元暦元年(1184年)、源義経と結婚し、奥州に逃れた時も義経とともに藤原秀衡を頼って平泉に赴いています。
文治5年閏4月30日(1189年6月15日)、衣川館(現・高館義経堂)を攻撃された際、義経自身は、一切戦うことをせず持仏堂に籠り、まず正妻・郷御前と4歳の女子を殺害した後、自害して果てたと伝えられています。
義経というと、静御前(しずかごぜん)と武蔵坊弁慶が有名ですが、静御前は妾 (めかけ)、そして弁慶の武勇伝に関しては『義経記』など後世の創作で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも、義経郎党の一人として名が記されているのみです。
源義経妻子の墓 | |
名称 | 源義経妻子の墓/みなもとのよしつねさいしのはか |
所在地 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉花立4-62 |
関連HP | 平泉町公式ホームページ |
電車・バスで | JR平泉駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東北自動車道平泉前沢ICから約4km |
駐車場 | 平泉文化遺産センター駐車場(40台/無料)を利用 |
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