高松城・水手御門

江戸時代には高松城の北側は真下まで海で、藩主は水手御門から小舟で出て、沖に停泊する御座船「飛龍丸」に乗り換えて参勤交代に出かけていたという。その時、出入りに使われた門が水手御門で、国の重要文化財に指定されています。

参勤交代の際、高松藩主はここから江戸へと旅立った!

水手御門は、続櫓と渡櫓との間にある、切妻造りの門で、門の外側には船着(ふなつき)石段があります。
この石段を使って藩主は小舟に乗船し、沖合に停泊の御座船に乗り移ったのです。
藩主の出入口ということもあって、防御よりも格調を重んじて薬医門になっています。

現在の石段は、明治34年、城の北側一帯を埋め立てた時に取り去られた石段を復元したもの。
復元ですが、船着石段が付随する全国唯一の遺構となっています。

高松藩の御座船は「飛龍丸」と名付けられ、幕末まで使われていました。
500石積(75トン)で、武家諸法度で定められた当時の大名が造船できる最大の大きさの船だったのです。

参勤交代の際、高松藩主は水手御門から小舟で出て、沖に停泊する御座船「飛龍丸」に乗り換えました。
御座船「飛龍丸」で瀬戸内海を大坂(現・大阪港)まで走り、大坂から陸路で江戸に向かいました(

御座船「飛龍丸」は、全長31.8m、幅9.4m、艪は52あり、一つの艪に2人の水夫が担当して漕ぎましたが、大坂までも2泊または3泊を要しました。

高松城・水手御門
名称高松城・水手御門/たかまつじょう・みずのてごもん
所在地香川県高松市玉藻町2-1
関連HP高松城(玉藻公園)公式ホームページ
電車・バスでJR高松駅から徒歩3分
ドライブで高松自動車道高松中央ICから約6km
駐車場玉藻公園駐車場(57台/無料)
問い合わせ玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521/FAX:087-823-6390
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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