知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

鹿児島県南九州市知覧町にある「知覧特攻遺品館」を前身とする歴史博物館が知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期、陸軍の知覧特攻基地が置かれた地、知覧。この特攻平和会館は、陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示し、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを訴えています。

散った命を弔い、平和の尊さを訴える資料館

「知覧特攻遺品館」の事務局長で初代館長となった元特攻隊員・板津忠正(いたつただまさ)さんが収集したものを中心に、写真、遺書などの遺品4500余点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示され、「必ず死ぬ運命にある。だが、その日がいつ来るか分からない。そんな特攻隊員としての毎日をどう送ったのか」(板津忠正さん)を知ることができます。

板津さん自身も20歳で陸軍加古川飛行場(兵庫県)で戦闘訓練を受け、両親と小学校の先生宛てに遺書を書き、知覧飛行場に移動して2日後の昭和20年5月28日に、機関銃を外した九七式戦闘機で出撃。
沖縄の手前でエンジントラブルを起こし、徳之島(鹿児島県)の砂浜に不時着、島民に救助されて知覧に戻ったところ、6月23日に沖縄が陥落し、8月15日に総特攻命令が出ましたが、突然中止になり、8月16日の終戦を迎え、命が救われています。

復員後は名古屋市役所に勤めながら、測量技師の資格を取得。
同時に、全国を慰霊行脚して、特攻隊の遺族を訪ね歩き、遺書や手紙を借りてコピー、遺影を複写したのです。
開館後も、全員の遺影が揃う平成6年まで全国行脚は続けられました。

世界で唯一原型を留めた良好な状態で現存する四式戦闘機「疾風」I型甲、そして薩摩川内市の甑島沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを引き上げ修復した零式艦上戦闘機五二型丙(機体前部と主翼、主脚のみ現存)が保存展示され、映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の撮影に使用された一式戦闘機「隼」III型甲(実寸大精巧レプリカ)も展示。

一帯は知覧平和公園として整備され、知覧特攻平和会館の外には、特攻平和観音堂、特攻銅像、母の像が建ち、静かに平和を祈っています。

板津忠正さんは、晩年を愛知県犬山市で暮らし、平成27年に90歳で天寿を全うしています。
生前、「自分たちが特攻隊として犠牲になれば、多くの国民を救うことができるという気持ちでした。無駄死に、戦争の美化だという捉え方が、私には耐え難く、それが活動の原動力だったと思います。特攻についていろんな見方があっていい。ですが、戦争が生み出した一つの事実であり、いつまでも忘れないでもらいたい」と語っていました。

画像協力/公益社団法人鹿児島県観光連盟、鹿児島県南薩地域振興局

知覧特攻平和会館
名称 知覧特攻平和会館/ちらんとっこうへいわかいかん
所在地 鹿児島県南九州市知覧町郡17881
関連HP 知覧特攻平和会館公式ホームページ
電車・バスで 鹿児島市山形屋バスセンターから鹿児島交通の知覧行きバスで1時間20分、中郡下車、タクシーで5分
ドライブで 南薩縦貫道南九州知覧ICから約2km
駐車場 250台/無料
問い合わせ 知覧特攻平和会館 TEL:0993-83-2525/FAX:0993-83-4859
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
三角兵舎跡

三角兵舎跡

鹿児島県南九州市知覧町にある戦争遺跡が、三角兵舎跡。空襲を避けるため陸軍知覧基地(知覧飛行場)から少し離れた松林の中に築かれた特攻隊員たちが半地下式の三角兵舎があった場所で、出撃するまでの数日間を過ごしていた場所です。現在は跡地に石碑が立て

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ