湯権現

湯権現

鹿児島県指宿市西方、公衆浴場の「二月田温泉 殿様湯」、江戸時代の薩摩藩主・島津家の温泉別荘の湯殿跡「殿様湯跡」に隣接して建つのが、湯権現(ゆのごんげん)。神仏習合時代に温泉で快癒することを願い祀られた権現で、現在は湯権現神社となっています。

寛政12年(1800年)、長井村の殿様湯脇に創建

寛政10年(1798年)、第9代藩主・島津斉宣(しまづなりのぶ=天璋院(篤姫)の祖父)は、摺ヶ浜(すりがはま=「砂むし会館砂楽」などのある摺ヶ浜温泉)の温泉別荘を長井村(現在の弥次ヶ湯付近)に移していますが、一帯の温泉の鎮守として寛政12年(1800年)、島津斉宣の命で濵﨑太左衛門が創建したのが湯権現です。

天保2年(1831年)、第10代薩摩藩主・島津斉興(しまづなりおき)が、長井村の温泉行館を二月田温泉に移していますが)現存する湯殿の遺構、殿様湯跡)、その際に、湯権現も移築されています。
湯権現の扁額は、有栖川宮識仁(ありすがわのみやさとひと)親王の筆。
手水鉢(ちょうずばち)には「奉寄進文政十一年三月吉日 島津藩家老・調所笑左衛門廣郷」と刻まれ、文政11年(1818年)、島津藩家老の調所笑左衛門廣郷(ずしょようえもんひろさと)の奉納であることがわかります。
調所広郷は、薩摩藩の莫大な負債を整理する天保改革の責任者で、改革を成功させた家老ですが、島津斉興の後継をめぐり島津久光と対立した島津斉彬は、幕府老中・阿部正弘らと結託し、薩摩藩の密貿易の情報を幕府に流し、島津斉興と調所広郷の失脚を図ります。
その責任が、島津斉興へと及ばぬようにと、服毒自殺したことで知られるのが調所広郷です。

調所広郷が手水鉢を奉納したのは藩主・島津斉興側近として頭角を現しだした文政11年(1818年)。
長井村の温泉行館時代に奉納されたもので、手水鉢にも島津藩の権力闘争の歴史が秘められているのです。

湯権現
名称 湯権現/ゆのごんげん
所在地 鹿児島県指宿市西方二月田
関連HP 指宿市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR二月田駅から徒歩10分
ドライブで 指宿スカイライン頴娃ICから約22km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 指宿市観光課 TEL:0993-22-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
殿様湯跡

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