三角兵舎跡

三角兵舎跡

鹿児島県南九州市知覧町にある戦争遺跡が、三角兵舎跡。空襲を避けるため陸軍知覧基地(知覧飛行場)から少し離れた松林の中に築かれた特攻隊員たちが半地下式の三角兵舎があった場所で、出撃するまでの数日間を過ごしていた場所です。現在は跡地に石碑が立てられています。

特攻隊員が出撃までの数日を過ごした場所

特攻隊員たちが最後の数日を暮らした三角兵舎は、半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていました。
三角兵舎の中で特攻隊員たちは、日の丸に寄せ書きを書いたり、故郷へ送る遺書や手紙(軍隊の検閲がありました)を書いたりしていました。
三角兵舎は、知覧特攻平和会館の隣の杉林には、復元された兵舎があるので、あわせて見学を。

知覧では、昭和16年12月に陸軍の飛行場が完成。
大刀洗陸軍飛行学校の分教所の分教所として、当初は教育や訓練などを行なっていましたが、ミッドウエー海戦での敗戦後の本土空襲の開始、沖縄へのアメリカ軍の上陸により、昭和20年2月、本土最南端の知覧飛行場を知覧特攻基地として、陸軍特攻隊が編成されたのです。

陸軍による航空特攻作戦は、昭和20年3月26日に開始。
重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりするという作戦で、知覧基地が本土最南端だったということもあって、全特攻戦死者1036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。

本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で昭和20年4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続けられました。
知覧飛行場は戦後に進駐してきたアメリカ海兵隊に破壊され、その痕跡はありませんが、特攻平和会館がその過酷で悲惨な歴史を今に伝えています。

三角兵舎
知覧特攻平和会館の隣の杉林に復元された三角兵舎
三角兵舎跡
名称 三角兵舎跡/さんかくへいしゃあと
所在地 鹿児島県南九州市知覧町西元
関連HP 知覧特攻平和会館公式ホームページ
ドライブで 南薩縦貫道南九州知覧ICから約1.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 知覧特攻平和会館 TEL:0993-83-2525/FAX:0993-83-48
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

鹿児島県南九州市知覧町にある「知覧特攻遺品館」を前身とする歴史博物館が知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期、陸軍の知覧特攻基地が置かれた地、知覧。この特攻平和会館は、陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示し、戦争の悲惨

掩体壕公園

掩体壕公園

鹿児島県南九州市知覧町、知覧の峯苫地区(飛行場跡)の掩体壕跡を令和3年4月に公園化したのが、掩体壕公園。掩体壕は、飛行場に格納する飛行機を、アメリカ軍の爆撃などを避けるために築かれたシェルター。知覧では、コンクリートではなく、コの字型に土塁

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ