国旗日の丸のふるさと(近代造船発祥の地)

鹿児島県垂水市、噴煙上げる桜島の東、「道の駅たるみず」敷地内にあるのが、国旗日の丸のふるさと(近代造船発祥の地)のモニュメント。幕末に薩摩藩が垂水と桜島の間にあった造船所で洋式軍艦を建造、日本の船と外国の船を区別するため幕府に日の丸掲示を提言したことを記念して建造されたもの。

洋式の帆船軍艦「昇平丸」建造と日の丸掲揚を後世に伝える

薩摩藩(藩主は島津斉彬)は、ヨーロッパ式の船を建造するために造船所を磯海岸に設置し、御船手で働いていた地元の船大工と長崎から招かれた3~4名の船大工が嘉永4年(1851年)、「伊呂波丸」を建造していますが、嘉永5年12月27日(1853年2月5日)、当時、「海から来る敵は海で防ぐ」ことを目的として、実質的に支配していた琉球王国の防衛を名目に、洋式軍艦(琉大砲船)の建造を願い出ています。

嘉永6年4月29日(1853年6月5日)、幕府から建造の許可が降りたことで、嘉永6年5月29日(1853年7月5日)に桜島瀬戸村造船場(現・鹿児島市黒神町)で造船に取り掛かっています。
こうして完成したのが、全長27m、幅7m、3本のマスト船で大砲10門を備えた日本初の洋式軍艦「昇平丸」です。

琉球王国は中国との交易もあり、外洋航海の船の建造実績があったため、当初は琉球国内での建造計画もありましたが、木材などの関係で、桜島が選ばれ、琉球王国からは2人(具志川親方、勝連親方)の官吏が派遣されています。
完成した洋式軍艦は、通常は運送船として,戦争時には軍艦として利用できるもので、翌年には幕府に献上されています。

桜島にあった造船所の遺構は、大正3年の桜島の噴火で溶岩流に埋もれてしまいました。
この大正噴火で桜島は大隅半島と陸続きとなっていますが、錦江湾(鹿児島湾)沿いを走る国道220号に沿いの「道の駅たるみず」に記念のモニュメントが築かれたということになります。

島津斉彬は、昇平丸の建造中、日本の船と外国船を区別するため白地に赤い「日の丸」を掲げるよう幕府に提案していますが、安政元年(1854年)、幕府は「日の丸」を日本の総船印と定め、安政2年(1855年)春、幕府に献上される際の「昇平丸」には「日の丸」が掲揚されたのです。
万延元年(1860年)には国旗へ昇格していますが、この「昇平丸」の「日の丸」掲揚が、日本線として公式に掲げた最初ということで、薩摩藩の桜島は、近代造船発祥の地とともに、国旗日の丸のふるさととなっているのです。

国旗日の丸のふるさと(近代造船発祥の地)
名称 国旗日の丸のふるさと(近代造船発祥の地)/こっきひのまるのふるさと(きんだいぞうせんはっしょうのち)
所在地 鹿児島県垂水市牛根麓
ドライブで 垂水港から約12km、桜島港から約17km。東九州自動車道国分ICから約23km
駐車場 道の駅たるみず駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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